娘たちには 「お母さんはせっかち!」 と良くいわれます。
・・そう・・私は無類のせっかちなのです。 決めたらすぐやる!!!
宅建士を持っていても、何の芽も出ない毎日にけりをつけて新しい生き方を見つけようとしていました。 とうにケリはついていました。さて・・
建築士ってどうやってなるの?
設計士とどこが違うの?
又本屋に即行。 問題集を読んだら今度は最初の1ページでギブアップです。
宅建士のように 読解力で乗り切れる次元では無い事が判明しました。
専門的な知識と基礎的な計算力、何より現場経験が無ければ受験資格すらない事がわかりました。
しかしここで諦める私ではありません。
建築会社の募集を毎週探して、地元の建築会社を見つけました。
今思えば無謀としか言いようのないこの決断ですが、何かが私の背中を押してくれました。 せっかちの神様です。
面接の際に「建築業の経験はありますか?」 と聞かれます。
「いいえ、ありませんん。」と答えます。 「志望の動機は?」
「はい!!! 建築士になりたいのです!」
「はあ?」 ですよね~。
この会社は即戦力のツーバイフォー住宅の営業を探していました。
まあ変なおばちゃんが迷い込んできた。 みたいな感じ・・・ですかね。
しかし 元気とやる気だけを買ってもらって採用の運びになりましたが、一間のサイズも分からないおばちゃんです。
与えられた仕事は、ひたすら㎥計算でした。東京のマンション建築の構造材の出荷量のけいさんでした。
後にこの経験が私の宝になりましたが、建築現場にはその後暫くは入らせてまらえませんでした。
この会社、同族会社 と言うやつです。
お金持ちの同族会社で 同期入社の大卒の女の子と私以外はみんなお金持ちでした。
まあ貧乏人の気持を理解したい.と思う人はいませんがね。
それでも大勢の職人さんや監督さん、それに上司の皆さんから、お酒の飲みっぷりの良いのだけがみとめられ・・・? 重宝にかわいがって頂きましたが、まあ苦しい時代ではありました。
始めての現場デビューは建築内覧会の営業でした。
上司から あれやこれや教育を受けましたが「わからない事は、わかりません。」と言え。・・・と言われて初めてのお客様に ツーバイフォーの壁と壁とのあいだの隙間は雨が入らないんですか?。」
と聞かれ・・・・。「わかりません」と答え上司の激怒をかったこと。
真夏の炎天下 2トントラックを走らせ材料運び、真冬の寒空の中 構造材の紙巻、皮むき土台敷。小さな外構の設計・図面を書かせてもらった初めての現場。
たまの上棟式に下働きで手伝いに行きご祝儀を頂き餅を頂いてくる。あの自由な現場の雰囲気に私は建築の虜になっていきました。
木の匂いや、職人さんの笑い声、お客様の誇らしげな喜びの笑顔。
ここだけが私の生きる世界なのだと。
この頃 迷いなく建築士の資格を取るための夜間学校に入りました。
朝8時から仕事、5時に上がっておにぎりをかじりながら週2日成田の専門学校へ。
残った時間はひたすら、自学と図面引きです。
中年のおばちゃんには過酷な日々の労働と母の闘病、そして人生を賭けた専門職への道と 私の大きな難所が待っていました。