designershome’s blog ~デザイナーズホーム~

専業主婦から不動産・建築の会社を起業したおばさんの話

一族の癌

以前、私の兄について少し触れました。

3歳年上の兄・・・二人兄妹の長男です。

 

一族の癌・・・と言われていました。

根絶やしになるまで一族を滅ぼし、吸い尽くし 

もはや救いようのない兄でしたが・・不思議な奴でした。

時にフーテンの寅の様に人を魅了し、時に悪魔の様に寄生して吸い尽くす。

 

昭和25年 両親の元待望の跡取りが誕生します。

昭和18年に20歳で戦死した伯父によく似た風貌の兄を特に祖母が溺愛していました。

後に生まれた妹の私はほとんど誰の気にもされず、叔父や叔母 祖父母、両親に至ってももはやグリコのおまけの様なものでした。

 

小学生の時から、勉強に費やす時間は無く全て近所のガキ大将となり・・・。

当時は本当に貧しい家の子供たちが多かった中で、我が家は父の興した建設業がオリンピック景気で軌道に乗り、お金には不自由なく育ちました。

 

ガキ大将の兄は成績優秀でしたが、それを鼻にかける事や自分の家が金回りの良いことなど微塵も感じさせない良い意味でのガキ大将だったと思います。

 

しかし、両親は当時やはり学問の大切さがあまり重要では無かったために、大学進学など念頭に無く 進学校の高校には進まず、農業高校に進学、そのまま家業の跡取りとなりました。

いつも眩しかった兄ですが、なぜか家庭を持った間もなく度々度々アタッシュケースを持ち商談と称して出かけることが多くなりました。

 

まあ汗して働く事に嫌気がさしたのでしょう。

まるでフーテンの寅さんの様に何か熱に浮かされたように出ていき戻ります。

両親も、兄嫁も時には私も・・・兄の夢のような話に浮かれ始めました。

父の経営する仕事は様々な社会変化に追いつかず、苦しい経営状態でしたからまあカンフル剤の様なものです。カンフルは長くは続きません。

 

長い年月のこの流れをすべて書き記す事は不可能ですが、彼が一族の癌になるのはそんなに時間はかかりませんでした。

 

まるでマジシャンの様に綱渡りを繰り返し、そばに居るものを魅了し、そして身ぐるみはがされます。

ある日突然 東京の一等地に事務所を構え従業員を雇い、リゾート開発を始めます。

ある日突然 六本木の一等地にバーをママごと買い取ります。

そして、ある日突然 取り立てに追われ一階の自宅に寝泊まりする 取り立ての目を欺き二階の窓から出入りをして行方をくらまします。

 

そして、そしてある日突然 地方紙の三面に「農業のリサイクルに画期的な事業を始めた若手の実業家」 ・・・等と写真入りで紹介され大勢の同級生と事業を始めます。

農業用のポリエチレンを再利用する特許を取得したとか。

「会長」などと呼ばれ・・・

でもいつも何故かこの人は どこか胡散臭い匂いが漂います。

競売で地方の豪邸を買い取って優雅な温泉暮らし。 一つの事に専念できないのです。

そしてそして・・・。

この自宅に山の様な産業廃棄物を捨てて、又地方新聞に載ります。(所有者は行方不明)・・・と。

当然この胡散臭い会社は倒産です。

この時の被害者は 同級生多数と私の実家の叔父。

 

み~んな ぜ~んぶ無くなりました。

私達はすでに無くなるものは物は全て手離していましたので後は他人だけです。

同級生達は立ち上がるだけの器量がありましたが、叔父は失意のままプレハブの住まいで亡くなりました。

 

ある日私の会社に 名も知らない新宿のとある方から、電話が入ります。

姿を消していた兄の面倒を見ていた人らしいのですが、私が不動産屋をやっているという兄の言葉の裏取りだったと思います。

「あんたのお兄さんに、初めて会った時 どうしてここにこんなすごい人がいるのだろうと感動した。 本人は訳ありだと言っていたのできっと名を成す人だと思って面倒見てきた。」

「掃き溜めに鶴だと思った」  とも。

「しかし、3か月も暮らすと メッキが剥げてダメ人間だと気が付く」

ボコボコですね。

他人から言われなくても知っています。

 

兄の消息を知ったのはこの時でした。

すでに小指もなく 実は東京湾に沈んでいるとの怪情報もあったので、この世に兄が生きていること自体不思議な感触でした。

母はもうすでにこの世にはいませんでしたが、生きていたなら飛んで会いにいったでしょう。

交通違反を繰り返し2度も免許停止になりながら、ちょいと外車を乗り回しさらに違反を重ね 行きつくところ交通刑務所に服役し 味噌造りの班長をしていると母に自慢したこの秀才君の為に 身も心も捧げ尽くした母は69歳でこの世を去りました。

 

そして、去年の夏・・・・・・。

東京の路上で倒れているところを発見され、救急病院に搬送されたとの電話が姪から入ります。

すでに末期の癌だったのですが、当初身元を明かさず住所不定、職業不詳のおっさんだったらしいです。

 

いよいよまずいと分かって 最後に不義理し尽くした、嫁と息子・娘に会いたくなったのでしょう。

私は又の機会にと思って家族に先を譲りました。

それが最後で会えずじまいだったのですが、何か複雑な気持ちでした。

たった一人の身内が死んだのに涙が出てこない・・・・。

ホッとしていました。

 

しかし嫁さん 子供たちに見守られてこのオッサンは70歳の人生を閉じました。

家族葬・49日・1周忌。  なんと幸せな男か・・・戒名迄もらって。

幼馴染で結婚してくれた嫁さんが 私の母との約束を守るために最後の別れをしてくれたのです。

3人の子をなしても 全く家庭を顧みず女房不幸の連続だったのに。

 

人間は誰でも 必ず誰かの人生と関わって生きているのだけれども、彼は本当に大勢の人に迷惑をかけ通してあの世に行きました。

閻魔大王は兄を通してくれるんだろうか。

・・・きっと母が何とかして血の池地獄にはいかないように手を回してくれるだろう。

そんな 思い出話をしながら・・・もうすぐ3回忌・・・。

私の実家は跡形もありません。