私の貸し店舗には、不思議な入居人達が入れ替わり立ち代わりします。
勿論 入居審査に人間性は問いませんが・・・。
今から10年ほど前になりますが、ある日一人の外国人が片言の日本語で訪ねてきました。
女性です。
彼女と私の腐れ縁はそこから延々と続くのですが・・・。
彼女はタイ人女性。当時50歳くらいだったと思います。
タイマッサージの店を開きたい!
永住許可証を持っていて日本男性とは離婚して 二人の子供を女手一つで育てている・・とのこと。
よせばいいのに私は彼女の片言の身の上話を聞いてしまったのです。
自分の店を開くのにお金を貯めて、店舗探しをしているのだがどこに行っても断られる。
他店で受けたひどい仕打ちを手振り身振りで話し始め、結局私は彼女の話にほだされ よせばいいのに自分の真新しいテナントを格安で貸し出しすることになってしまったのです。
私の人生は魔が差す事ばかり・・・。
保証人もなし、保証審査も通らないこの50過ぎのおばちゃんに、格安テナントをジャックされた私はこの後 次々に起こすトラブルの後始末に奔走し仕舞には日本のお母さんになってしまいます。
仮にこの女性の名をシーちゃん・・・とします。
シーちゃんは真新しいテナントに特に断りもなく勝手に造作・看板・・その他の傍若無人ぶりを発揮するのですが、何しろ逞しい。
ある日シーちゃんから、警察の本署に同行して欲しいと依頼を受け、古物商の申請をしたいとの事で 申請に必要な用語の意味を理解するのに通訳してほしいと (おこがましい)頼まれ着いて行きました。片道30分。 暇な不動産屋です。
警察署の3階に申請窓口があると聞いて、ノコノコついて行くと入り口にいる受付の警察官が何やらこちらを向いて怒鳴ってきます。
・・・・。
何をそんなに怒鳴るのか理解するのに時間が掛かりましたが、要するに 私もタイ人と間違えられ、「お前たちの勝手にはならない!」 とすごんでいるのです。
私は日本人でそんなに怒鳴らなくても日本語がわかる旨を伝え、シーちゃんに日本で古物商の資格を持つことはそんなに簡単ではない。と諭しました。
彼女は本国にルートがあって、古物商の免許を持っていれば資金調達できるとのことで何か役に立つならと 私自身 在留を少し甘く見ていたようです。
まあこの辺りは軽くジャブを一発くらった程度で、それからの彼女は自身で身に着けたタイマッサージで 私が紹介した多くの客の首をねん挫させる。
近隣の居酒屋と揉め事を興しその後始末。
高校生の娘をタレントにするための交渉(めっちゃ美人!)。
家賃値下げするまで払わない!。
とどのつまりは、たまに居酒屋に連れて行ってお酒をふるまう事があり、必ず運転代行を付けて帰らせるのですが、一旦自宅に帰ってから又飲みに行く事が多かったようです。
同郷のタイ人にでもあいたかったのでしょう。
(一度目は交通事故の当て逃げ。 これはしらふでしたが・・・。
追いかけられて逮捕! 裁判にかけられて毎月5000円ずつ支払っていたようです。)
飲酒運転は治りません。
ある夜泥酔してお祭りの山車を引いていた人に体当たり。
なんと、重傷を負わせるという事件を起こしました。 翌日新聞でシーちゃんの事を知りました。
暫く留置所に留めおかれ、長い裁判と被害者との示談に入りました。
ここ迄来ると、私の範疇ではありませんが・・・実はこの時シーちゃんには不思議なご縁の足長おじさんが付いていました。
さかのぼる事・・・シーちゃんと知り合って1年ぐらいたってからでしょうか・・・。
シーちゃんに男性の影を見つけました。
シーちゃんはある男性から過去10年位の間に3000万円(シーちゃん曰く)ものお金をもらっていました。
そして今なお子供の教育費や 自宅の住宅ローンなどすべてこの足長おじさんが援助していたことを知りました。
まあ良くある話なので特に驚きませんでしたが シーちゃんはビックリするほどブスです。(女性蔑視ですかね~)
キンチョーのコマーシャルに出てくる外国の女性にそっくりです。
彼女が敵を作らなかったのは一重に笑える程のこの容姿の御かげなのです。
そしてこの足長おじさんは、なんとあの 有名航空会社の機長さんで今は引退していますが・・・そのほとんどをシーちゃんの為につぎ込んでいたのです。
シーちゃんの御かげで私など絶対にお会いすることのない雲の上の人に何度もお会いしました。
そして、驚いたことにこの機長さんは本当に足長おじさんで、シーちゃんには何も求めていませんでした。
ご自分の娘さんが、アメリカに移住してアメリカ人と結婚し現地での苦労を知っていた為に、同じ境遇のシーちゃんを放って置けなかったと、この腐れ縁を嘆いていました。
途中で放り出すことも出来ず、末娘の高校卒業を見届けて縁を切ろうとした矢先の交通事故でした。
それから、長い裁判で先の事故の賠償も終わっていなかったのでしばらくは刑務所に入って居たと思います。
事故車の所有者という事もありその責任は大きかったと思いますが、最後までシーちゃんに寄り添っていました。
刑務所から出てきたシーちゃんは、息をするように私の顔を見ると「お金!ないよ~」
といいます。
お金ないのは分かりますが私にどうしろと言うのか・・・。
結局お店を畳むのに現状復帰の資金がない。とのことの様です。
事故を起こした時から、そんなことはとうに諦めていました。
勝手につけた看板撤去・内装の撤去処分。クリーニングなど なんと30万円ものお金を私は餞別代りに自腹を切ることになりました。
多分日本で一番おめでたい不動産屋ですが、シーちゃんのどこかがきっと好きだったのか・・・と。
シーちゃんはある日消えるようにこの街から姿を消しました。
自宅は競売に出て、足長おじさんとその後もたまに連絡を取りますが、ここにも何の連絡もないようです。
嵐の様に突然やってきて、やりたい放題のまま居なくなったシーちゃんは風のうわさで東京近郊の町で暮らしているようです。