今週のお題「何して遊んだ?」
多分今生きている年代では一番幸せな時代に生まれたと思います。
太平洋戦争の8年後・・・。
東北の山村の谷あいの村に生まれました。
高度経済成長の最も日本人が活気付いた昭和30年代に小学校に入学しました。
谷あいにへばりついた古い農村には どの家にも子供が2~3人いて 毎日日が暮れるまで遊び呆けていました。
谷あいの「へこたみ」には田んぼや畑。
公園などありませんのでここは、今で言うここが2チャンネル。
どの家からも各学年の子供たちが2チャンネルに集まって春夏秋冬を過ごしました。
ヨチヨチ歩きの妹弟を連れて1年生から中学生まで。
子供だらけです。
春は レンゲ畑で草をついばむ乳牛や肉牛に乗って「カーボーイ遊び」をします。
当然年中叱られて追いかけまわされても♬ 盗んだバイクで走りだす♬みたいな感じで誰も驚きません。
牛を乗りこなせて一人前・・・みたいな・・・農業を肌で学んだ感じです。
夏は夕暮れ・・・? 川べりでの蛍狩り 蚊帳にホタルを放します。
お盆の松明は 唯一火遊びしても叱られない火遊びです。
どの家からも入り口にご先祖を迎える迎え火を焚くのは子供の仕事です。
日暮らしの蝉の声が聞こえるころには夏休みも終わり。
そろそろ宿題をまとめなくてはいけません。
秋は秋祭り。
普段は怖くて入れない鎮守の杜が賑わいます。(普段は昼でも何かきっと棲んでいます)
御神楽の太鼓の音に 出店の綿あめの匂い・・・。拳銃や刀を振り回して戦争ごっこをしました。ピストルの火薬の匂いが懐かしいです。
冬は馬そりでの登校。片道4キロの山道を馬そりに乗れた日はラッキーです。
雪に閉ざされた東北の山間の村には 冬はどの家もお父さんは居ません。
みんな出稼ぎで東京に行っているからです。
3月にもなると雪の下から少し覗いた乾いた土の上でボール遊びをします。
こんな昭和の幸せな時代に育ちました。
1クラス55人のマンモス学級には 個人情報などありません。
無造作に教壇に置かれた出席名簿には、55人分の父親の名前と職業が書かれています。
54人のお父さんの職業は農業です。
唯一 私の父親の欄だけが「土建業」と書いてあり当時の私のニックネームは「ドッケン」でした。
他の子たちは父親の名前で遊ばれ 私は「ドッケン」と呼ばれることを何の不思議にも思わず、これも意思疎通の為の遊びの一環だと思っています。
夕暮れには皆 家業の手伝いに帰っていきます。お風呂焚き・雨戸閉め・晩御飯の用意。
2チャンネルは次の日の午後までお休み。山間に静けさがもどります。
春夏秋冬の季節の遊びがはっきりしていて季節感満載。幸せな子供たちの遊びのご紹介でした。