designershome’s blog ~デザイナーズホーム~

専業主婦から不動産・建築の会社を起業したおばさんの話

風の又三郎を見たよ!

東北の田舎町・・・

宮沢賢治の「風の又三郎」を知らない人居ないと思いますが・・・・。

風の又三郎にあった人は少ないと思います。

 

・・・・・私は 会いました。

 

昭和42年  私が中学2年生の時だったと思います。

 

私は東北の 山深い山村で生まれました。

何せ 徳川時代から メンツは変わって居なくて 明治・大正・昭和と子孫代々受け継いで爺さんの爺さんの名まえから嫁さんの出処まで知り尽くした・・・まあ「よそもん」は棲みずらい村で育ちました。

 

中学2年生の 1学期 音もなく 一人の男の子が転校してきたのです。

忘れもしない 名前を「伝君」と言いました。

 

 当時の木造の二階建て校舎には イガグリ頭(校則です)のほっぺの赤い男の子や、何なら鼻水をすすっているような男の子ばかりです。

「今日から 皆さんと一緒に勉強することになった●●伝君です。」

それは 当時の私には 韓流スターに会ったような衝撃でした。

 

身長は 同級生の中では首が一個抜き出ていました。

色白で 大きな目をしていました。

で・・何でか ・・彼は校則の「丸刈り」は適用になりませんでした。

坊ちゃん刈・・・です。

 

今まで会ったどこの誰よりカッコいい伝君は 言葉も少なく 余り感情が見えない子でしたが 男子バレー部で アタッカーをしていて・・・それもなかなかカッコいい感じでした。

 

風のうわさによれば 彼は東京から親戚を頼って転校してきたとのこと。

親はどこにいるのか、なぜ転校してきたのか?  分からない事ばかり。

 集落から出たこともない子供には不思議の国の伝君でした。

 

私は 宇宙人を見たことはありません。

時々 下校途中の山の中の中腹に 突然立って話しかける「カ・ミ・ハ ア・イ・デ・ス。 イエスサマはアナタタチヲ オユルシニナっていま~す♬」 

なんて 金髪の宣教師を見つけると 目玉が飛び出しそうになって 死ぬ程走り抜けて・・・それが宇宙人に会った最初の様な暮らしの中で 伝君は まさに私の宇宙人でした。

 

何とか話しかけたい・・・お友達になって 東京の話が聞きたい。

伝君の周りを 遠巻きにぐるぐる回りながら 多分・・・きっと・・・「お弁当」の話かなんか 一言二言話したと思います。

伝君は 隣の集落の親戚のオジサンの家に一人で引っ越してきたのだと 噂に聞きました。

 

なかなか 友達にもなれなかった 多分その年の終わりごろ ・・・気が付いた時には伝君は 挨拶もないまま クラスから消えました。

まるで 風のように居なくなりました。

 

お父さんが迎えに来たとか 何かで もうこの村には来ないとの話を聞きました。

今になれば 恐らく両親の離婚か何かで お父さんに引き取られ お父さんの実家に身を寄せていたのでしょう。

 

1年もしない内に 伝君は東京に帰ってしまったようです。

中学の3年間のうちの 何か月 一緒に過ごした宇宙人の伝君は 何の痕跡も残さず中学の卒業アルバムにも姿がありません。

 

まるで最初から存在していなかったようです。

 

私が 宮沢賢治の「風の又三郎」を読んだのは その大分あとの事でした。

「!!!! 伝君だ!!!」

 

そう思いました。

何故か 伝君は 思い出の中で 大きなマントを巻き付けて お父さんと歩いて行きます。

どっかで 小説の主人公と入れ替わったようです。