designershome’s blog ~デザイナーズホーム~

専業主婦から不動産・建築の会社を起業したおばさんの話

自宅の前の・・・私の一番好きな場所が・・・今朝・・・なくなりました・

樹齢100年は優に超える大銀杏の大木が、いとも簡単に切り倒されていました。

雷に打たれ2つに裂けても尚 青々と茂って天にも届く勢いで今年も若葉が見られるのを楽しみにしていました。

どんな事情があったのか分かりませんが・・・人間の罪と愚かさを思い知りました。

所有者にすべての報いがあることを・・・・。

 

ゴミ仙人の卵

特に動機はありません。

愛犬サリーとの散歩は もうかれこれ7年になりますが去年8月頃から、私はそのついでに 自宅からの散歩コースのゴミ拾いを始めました。

 

当初はサリーのリードを右手に、左手にスーパーのビニール袋を提げ背中にはサリーの💩グッツのリュックを背負い おまけに右手にはトングをぶら下げて・・・・。

 

私の散歩コースには 大きな公園があり昼は大勢の子供達・・・夜中は若者たちの乱痴気騒ぎに・・・ゴミの種には事欠きません。

時には 食べ残しの弁当にスナック菓子の袋。煙草の吸殻は勿論の事、ワンコの💩迄。

 

新興住宅街には育児放棄の家庭もあり、この子供達に至っては時に鍵を忘れて自宅を追われた放浪者の様に道路に座り込み 飲んだり食べたりしながら道行く人を睨みつけています。

 

要するに余り環境の良い所では無いという事なのです。

スラム化していく住宅街を嘆きながら 何のアイデアもなく不満ばかりを口にしていました。

 

しかし、ある時公園でゴミを拾っているご婦人を見かけて「!!!!」・・・

痛く感動してしまったのです。

我が街では 過去に選挙運動の為赤い袋をぶら下げてこれ見よがしに空き缶拾いをしている候補がいました。

偽善活動に辟易していた私は当初抵抗があったものの、コレ やってみると何と楽しい事に気が付きました。

 

夏の間は 朝5時前に自宅をでます。

サリーも一緒です。

しかし・・・寒くなると犬のくせに朝の散歩は布団から出てきません。

遂に私は サリーを置いて 一人でゴミ拾いにでる決心をしました。

結果、サリーの散歩を出直さ値くてはなりませんが・・・。

1か月・2か月・・・と続けているうちにとてもすごい事に気が付きました。

 

朝6時半・・・・私の歩いた後ろにはゴミが一つもありません。

素敵な光景です。

嬉しくて楽しくて 足取りも軽く メンタルバク上がりなのです。

 

ゴミは、他人が落とした「運」であると考えるようになりました。

毎朝他人が捨てた「運」を拾いながら無心に幸福に浸れる40分。

 

かけがえの無い時間を過ごしています。

そんな今日。 お客さまからこんな書籍を紹介頂きお借りしてきました。

「ゴミ拾いをすると、人生に魔法がかかるかも♪ 」 

ゴミ拾い仙人 吉川充秀さんと言う大事業家の方の著書です。

 

題名を見た時から共感し、自宅に戻って一気読みをしました。

「うんうん」ニヤニヤ・・・しながら私の考えは間違っていなかったことを確信し、脱3日坊主を宣言しました。

そして、何故か神様に頭をナデナデされたようなホッコリしてしまいました。

 

こんな大事業家の著書に共感などと大それたことを言うつもりはありませんが、本が私に会いに来てくれました。

本当にひょんなことで 本が私を選んでくれたのです。

 

そして、こんなこともありました。

育児放棄のこの家にはまだ若いお母さんとお父さん。もう高校の高学年の女の子を頭に下はまだ4歳くらいの幼児迄多分4人子供だと思いますが。

早朝、屋敷の廻りのゴミをトングで拾っていたら、たまたまお母さんが 車の中でメールをしているのが見えました。

いつもの事なので私も気にせずに 拾うものを拾って先に進みましたが、たまたま大きなぺットボトルが2本 。しかも中に詰め込まれた砂や正体不明の液体で持ち上げられず、その日は撤退することにしました。

しかし・・・

次の日の朝、この家の前の2本のペットボトルがなくなって居る事に気が付きました。

初めての事なのです。

お母さんが、子供たちに注意してくれたのかお母さんが捨ててくれたのか・・・。

兎に角この家の周りのゴミが始めてなくなっていたのです。

 

何かこれもホッコリしました。

時に犬の💩に怒ったり、大量のおにぎりの投棄に胸が痛くなったりすることが在りますが、嫌ならやめればいい事です。怒るのは違う気がします。

お怒り大名になるならやらないほうがいいのです。

 

吉川会長の著書に我が意を得たり・・・と明日も他人の捨てた運を拾ってメンタルバク上がりの朝を迎えましょう。

まだ足も口も達者です。一日も長くゴミ仙人の卵でいられますように。

 

 

 

 

 

 

愛しのオックス様

1週間ほど前になりますが・・・・。

 

深夜・・と言うより明け方にラジオから流れたメロディーに驚きすっかり目が覚めてしまいました。

 

 午後11時5分 ~ NℍK「ラジオ深夜便」で眠りにつき 朝5時の番組終了で目覚める・・・。と言う母からの続きの睡眠儀式で一日が終わり一日が始まります。

 

私が最も苦手なのは 沈黙・・・静寂・・・。

そして浅い眠りの中で 朝方3時から流れる懐かしい歌声を夢の中で聞きながら舟を漕ぎます。

 

そしてその日に流れたのは、何と「オックス」の「ガールフレンド」でした。

夢の中で(なんか・・・懐かしい~)・・・!と目覚めてしまいました。

 

私は昭和40年代のグループサウンズの時代の子供なのです。

そして「オックス」の岡田史郎君が大好きだったのです。

 

何故か本筋を行かないひねくれものの私は 少し遅れて控えめに後ろでリードギターを弾ているシロー君が大好きでした。

初めてデビュー曲の「ガールフレンド」を聞いた中学2年生の私は、♪~ゆ~め~のお城にすんで~い~る♪

恋も知らない中学生の私に初めて恋を教えてくれたオックスのシロー君と実に57年ぶりの再会をしました。(夢の中で)

私は東北の山村で育ちましたから、芸能人なんて週刊「平凡」か「明星」くらいしか知りません。

 

しかし、この山の中の町に市民会館に ある日グループサウンズ「オックス」が来たのです。

多分平日だったと思います。何しろ古い話で定かではありませんが、学校をずる休みしていきました。

この日は「失神」したかどうか覚えていませんが、何しろ「失神」が売りのグループで、「テルミー」を歌いながら 次々と倒れて行くのです。

 

勿論フアンの子たちは絶叫・そして失神です。

世間的にかなり問題になったグループでした。

赤松愛君  野口ひでと君 そしてシロー君など5人グループでした。

 

田舎町の公演を終えてこの日は彼らはこの田舎町に一泊していました。

今思えば過密スケジュールの彼らが東北の田舎町に一泊するなんて本当に珍しい事でした。

私は幼馴染の友達と二人、この旅館を突き止めガードの目を盗みこっそり 忍び込みました。

流れで宿泊部屋のはす向かいの浴室に入り込み 今で言えば犯罪ですね。彼らの部屋をそ~っとのぞきこみました。

すると、広縁で赤松愛君と ひでと君が何やら楽しそうに話し込んで 両手を鴨居かなんかに掛けてぶら下がってくつろいでいました。

 

話はそこまでです。

急に怖くなって 後ろも見ずにダッシュで逃げ帰ってきました。

でもステージ外の素顔の二人はとても可愛い男の子でした。

 

・・・・・・時が過ぎて 私の長女は高校1年生の時代、エックスの大フアンでした。

30年も前ですが、今でも大好きです。

今は「エックスJapan」 と言いますね。

ヤッパリ失神していました。

「クス!」っと笑いながら 親も子も失神グループが大好きでした。

エックスはもう神様の領域に達しましたが、我が家にはこんなパンフレットがまだ残っています。

毎年東京ドームのカウントダウンに出かけて行っていました。

 

 

 

 

 

高島屋にどうしても言いたい!

令和5年12月24日

例の クリスマスのケーキが原型を留めないで届いた件。

 

冷凍の保存状態が悪かったのか、搬送途中の何処かで何かの事件が起こったのか。

マスコミは その後の販売責任を糾弾して老舗デパート「高島屋」の対応の悪さを一斉に報じました。

高島屋は事件から数日が過ぎた時点で「これ以上調べても分からないので、今回の責任は高島屋が取りますので この件はこれで終わりにしたい」・・・とのコメントを出しました。

 

「・・・・・ん?」

 

しかも、マスコミの糾弾の的は 「原因が分からなけらば又同じことが起きるかも知れない。 来年同じことが起きないように原因をもっと調べるべきだ!。このタイミングで調査終了は無いだろう!」

 

確かにそうですが・・・・。本当に問題はそこだけなのでしょうか?

私は、高島屋の会見をテレビで見た時に非常に違和感を覚えました。

 

まあ発表したおじさんの風貌にも問題がありましたが・・・。あの方は高島屋そのものの風貌をなさっっていただけなのです。

 

世の中は政治家のキックバック問題、 イスラエルハマス  ロシアとウクライナ問題で揺れて大騒ぎ・・・。

たかが5000円のケーキ。どうでもいいような話で、「折角のクリスマスに子供たちがかわいそう!」なんてどうでもいいですよねえ。

 

世界では、今日食べるものもない子供たちが山ほどいます。

ケーキが食べられなくて可哀そうな子供なんてどうでもいいです。

 

只・・・。高島屋は 結局 「たかが ケーキ」だから あっさり責任を取ったんですよねえ。

2500個か2600個のケーキ。

一個5500円にしても たかが・・・の値段です。

天下の高島屋なら 軽いくしゃみ程度ですみますよねえ。

 

この 貧乏人をタカくくったこの経営方針がこの結論を生んだんでしょう。

ず~っとモヤモヤしていた私 貧乏人のひがみですが。

 

お客さま第一・・・と口では何とでも言えますが。。。・

仮に1個 100万円の商品5000個でもこんなに簡単に原因を特定せず「全責任を負います」 と言えるでしょうか。

1000円の客と 100万円の客を同じに接客しろとは言いませんが、せめて企業人の誠意として途中で責任を放棄するような言動は厳に慎んでほしいと思ったのは私だけですか?

 

マスコミの突っ込みは私と別の所にあったのであえて書かせていただきました。

何かと騒がしい世の中で、この件はこれで終わってしまうのでしょうが・・・私は忘れません。

二度と高島屋ではお買い物はしません。

ゴミみたいな客ですから。

 

 

 

 

 

私、気が付いてしまったんです。

今年もいよいよ終わりですね~。

年度末になると、毎年お世話になった方に年末の御挨拶に回ります。

いつも決まって 地元で収穫の苺・・・。2パックです。

 

お留守の方もいるので メッセージを添えて玄関先に置かせていただきます。

 

しかし・・・・。

今年・・・私は気が付いてしまったことが在ります。

 

もう10年以上のお付き合いのお客様。

今年の苺の御挨拶の時にお留守だったものですから、奥様に伝言してご主人に渡してもらう事にしました。

 

その日の夕方・・・。やはり お礼の電話がありました。

 

この方のお電話と私の電話は 何故か昔から相性が余りよくないようで・・・・。

いつも、pu~pu~・・・とかプツンとか言って切れてしまうのは以前から不思議におもっていました。

 

この日も、お相手の名前が表示されたとたんに「pu~pu~」 「プッツン」

あれ~?と思って私からかけ直してお話しをしましたが。

 

電話を切ったとたんに 脇に居た娘が ニヤニヤしながらこう言いました。

ワン切りだね!」

へ^?

 

私は長年の「?マーク」がこの時 ストンと腑に落ちたのです。

 

知らなきゃよかった!

そ~かあ! だからいつも繋がらなくて こちらからかけ直していたんだあ!・

 

本当にショックでした。

信頼していたのに。 しかも今まで全く気が付かなかったなんて本当に間抜けな不動産屋。

 

でも・・・まあいいかあ・・・・。

来年からはもうご挨拶ご遠慮させて頂こう!~と。

 長いお付き合いにサヨナラした今年の年の暮れでした。

 

 

お嫁さん要らない!

先日の お嫁さん探して!の続編。

 

尊敬する昔の上司からの、息子の嫁探して!の相談に・・・。

会ったこともない42~3歳になったという息子さんのお嫁さんを何とか探せないものかと・・・。愚かにも一瞬  嫁探しのその気になった私です。

身上書が欲しいといった私に・・・・。

 

4~5日後に入ったこの昔の上司の電話。

 

「悪いね~!  息子と良く話し合ったんだけど・・・・。

息子は嫁さんもらう気は全然ないんだって!」   

 

そりゃあそうだ!。そっちが先だ!

 

職場から送り迎え付きの 三食付きの公務員生活。

趣味の骨とう品集めに 気ままな生活。

 

可愛い可愛いで、溺愛してきたこの息子。

今更嫁さんもらって 給料搾取や他人への気使い 出来るはずないでしょう。

 

私が思ったほどこの息子、頭悪くはないみたいです。

賢明な考えでしょう。

 

しかし、親はそうはいきません。

少し引きずるような歩き方に、決して健康ではない事が伺えます。

心配でならないのです。

 

でも、まず息子との話し合いが先でしょう。

馬を水飲み場迄 連れて行く事は出来ますが水を飲むかどうかは馬しだいです。

水飲み場を探すことが優先されたようですが、馬は水を飲みたくなかったのです。

 

まあ、笑い話で終わってしまいましたが 今の日本の現状はこんな感じでしょうか。

わたしにも3人の孫がいます。

大学生の男の子2人  高校生の女の子1人です。

 

先の事は分かりませんが、他人事と笑えなかったお話しでした。

 

 

 

お嫁さんを探して!

日々様々な出来事や出会いがあります。

今日は、20年以上前にお世話になった職場の元上司が訪ねてくれました。

その頃 私は人生の底におりました。

仔細は過去のブログでも書きましたが、どんなにあがいても抜け出せない泥沼の様な時があります。当時のこの上司との出会いは確かに人生の節目になったと思うのです。

 

見当違いの様な面接の場で「面白い奴だ」と言って採用してくれたこの上司。

私の建築士になりたい!・・・という何の根拠のない夢をかってくれたのです。

経験もないおばちゃんを採用するにあたっては、他の部門からもかなりの異論もあったようですが・・・。

 

いわば恩人と言えるこの上司。

尊敬と道しるべともなったこのNサンは何か体調が思わしく無いらしく、聞けば自宅で転倒し自宅療養の身であるとの事。

 

いつも軽妙な切り口で人生を語ってくれた御仁は御年76歳になったとの事。

少し心配な足取りで約束の時間を20分程遅れてやってきました。

この日の要件は、何と「息子の嫁を探してほしい・・・」というのです。

私は不動産の売り買いは仕事なのでお手の物ですが、お嫁さんを探すことはやったことがありません。

まして、Nさんの御子息の名まえやお顔も知りません。

知っているのは「公務員」であるという事だけです。

十分な財力があり、食べるに困らないこの方のたった一つの泣き所はこの一人息子の嫁。

 

・・・・・。「Nさん。  その昔人生を語って下さったあなたならきっとこう答えた事でしょう。」・・・

 

「なあ~。金や力があったところで、本人の熱量の伝わらない所で回りがいくら騒いだってそれは無理な話だ。 自分の嫁くらい自分で探せ!」・・・と

 

一刀両断のその語り口は、時に人生の指針ともなったこの元上司。

つくずく人間の末路を思い知りました。

財力があって、これを目の前にチラつかせれば息子の嫁など簡単に見つかると思って生きて来たのでしょうか。

年を重ね、体も思うようにはならない。

しかも死ぬような年でもなく、息子は自分の趣味に走って結婚など何の興味もない・・43歳になるというのです。

 

これがじんせいだな~と・・・。

結局本人の自己紹介の文面など作ってもらって、再度訪ねてもらうように話しました。

安心した様にかえって行くNさんを見ながら複雑な心境になってしまいました。

 

出来る事はやってみようと思っています。

多少のつてを頼って話をしてみようと思いますが、親の出来る事はここ迄です。

何を言いたいかというと・・・。

自分の事って分からないものだという事。

晩節を汚さないという事。

 

尊敬する元上司でいてほしかったのです。

思わぬことで覗いてしまった人間の価値観に結構落ち込んでしまった今日のわたしでした。