designershome’s blog ~デザイナーズホーム~

専業主婦から不動産・建築の会社を起業したおばさんの話

横須賀いってきました!

 猿島に向かう船の中から横須賀米軍住宅が見えます。

この日は嘉手納基地のオスプレイが事故で大騒ぎの日だったので、丁度同じ時間帯の米軍基地は大変だったのではないでしょうか?

どんな事情があれ、若い海兵隊さんの命が奪われたのは気の毒な事です。

 

そうとは知らぬ私達(全日不動産協会の日帰り旅行)は 呑気に横須賀の無人島「猿島」に向かっています。

岸壁には 太平洋戦争の生き残り?ですかね・・・。「みかさ」が展示されていました。

 

同行の方の写真が入ってしまいました。ごめんなさい!

これが私の写真の実力。完璧は求めませんがいつもこんな感じ・・・・。

 

この猿島

無人島なんです。横須賀と言えば、戦時中の海軍基地。呉と並んだ日本軍の要塞でした。

この猿島は横須賀の港から1,7キロという目視できる至近距離にあります。

今は無人島ですが、当時は砲台が設置され多くの兵隊さんが寝起きして米軍の襲来に目を光らせていたようです。

当時の生活様式も残されていて歴史の勉強になりました。

 

しかし・・・ここ迄行ったら・・・普通お昼ご飯は「海軍カレー」に決まりでしょう。

・・・なのに・・・普通の食堂でエビフライと刺身に釜めし・・・。

これないよね~。

不動産協会お金の使い道無くてこんな研修旅行するなら、お茶1本・ポテトチップ位くださいよ~!

誰が組んだツアーか知りませんが、旅行の趣旨・センスが全く分かりません。

ここで欲しかった「海軍カレー

根に持つタイプなので、又きっと言います。

 

でも、帰りのバスの中から見た同業者のこの看板・・・なかなか行けています!

きっと洒落の分かるセンスのいい方が作ったんですよね!

勉強になりました。

 

落ちたかも?

行ってきました。

一般建築物石綿建材調査者講習。

どうですか?

このタイムテーブル。

 

40人ほどの定数ほぼ満員。

親父臭い教室に女性が4人。

密室で朝8時半から午後4時半迄 缶詰めの2日間。

今年の10月から100万を超えるリフォームや80㎡越えの解体工事にはこの報告書が必要になるとの御上ののお達しに、素直な私は大枚35000円を払ってこの講習を受けに行ってきました。

 

まあ結構舐め切って居たことは確かです。

講習を受ければ寝ててもいいのかも知れない・・・・・・。

 

とんでもない!!!!

建築士試験に準ずるような濃い内容に絶句。そして 終了考査。

 

2日間で飲み込める内容ではありません。

講師の読み込むスピードについて行けません。

これってあんまりです。

 

睡魔と戦ったこの2日間。 終了考査に落ちたら返してほしいです。

 

まあアスベストの勉強にはなりましたが、しかし・・・。

御上の責任逃れの様なこの講習会の催行に反感を覚えた人は私だけ?

 

アスベストの危険はず~っと前から叫ばれていて 肺気腫の被害者は数多く出ています。

今頃法整備の為の詰め込み講習に 老骨にムチ打ち行ってきたのです。

終了考査に落ちれば1っ週間後に連絡あるそうです。

今度は東京の講習会場。

微妙な出来に少し

イラっと来ている今日この頃です。

 

 

 

 

ゴミ難民の行きつく先

8月16日の突然の自治会長からのゴミステーション立ち退き勧告から、3か月。

いろんな事がありました。

何が何だか分からないまま13世帯の生活の基盤・・・ゴミステーションからの追い出しが始まりました。

 

元々 27件ほどの小さな自治会には、もう高齢者が大半を占めていて 毎年の周り番の役員は体をなさず・・・毎年パスする高齢者が増えて。

結果、自治会役員の廻りが早くなる若い世帯・壮年世帯が遂に悲鳴を上げて大量脱会するに至りました。

 

しかし、20年以上に渡って使用していたゴミステーションは お掃除を含め特に何の問題もなく使用していました。

 

ところが・・・3年ほど前でしょうか。

売りに出ていた中古住宅を購入した外国の方が住まうようになったころから、ゴミの投棄の仕方に異常が出始めました。

我が町は、ゴミの分別に特に厳しく 可燃物・不燃物・ビン・缶・プラスチック・家電・乾電池等 特に厳しく制限されています。

 

それまでは、整然と清掃されていた捨て場に指定されていない日の投棄・既定の袋ではない袋のゴミ・あふれ出た生ごみ。等々・・・目に余るゴミの投棄が続くようになりました。

 

当然 住民のストレスは徐々に溜まっていきました。

中には、投棄されたゴミ袋をあけて犯人探しも始まっていました。

でも犯人は分かっているのです。 タガログ文字や見慣れないパッケージのゴミがあふれていたからです。

 

そして、遂にある日突然 ゴミステーションに 名指しの張り紙・・・・。

「〇〇さん、あなたはゴミを捨てないでください。捨てた場合はポリスを呼びます」

そして・・・突然!

13軒のポストに「自治会を抜けた者はゴミを捨ててはならん」という怪文書が投げ込まれたのです。

 

お盆の真っ最中のこの不意打ちに、私は怒りを抑える事が出来ず、差出人と思われる自治会長に事の真意を確かめるつもりで家を出ました。

しかし、隣接のご主人に止められ全く行先を失ってしまったのです。「あの自治会長とやり会っても無駄ですよ。もめ事が大ききなるのでやめたほうがいいですよ。」

 

このゴミステーションは元々 この地で開発行為によって作られた団地の一角にあり、元々この開発業者が作ったものでしたが、後日 市に寄付行為がなされ今は公共の土地になって居ました。

私達13軒の住民はこの隣接する別の業者の造成地を購入した いわば新参者だったのです。

 

真面目に自治会役員もやってきました。

ごみ当番もキチンとこなしてきました。

 

自治会に加入していないご家庭でもこの当初の販売業者から住宅を購入した人は問題なくゴミステーションを使用しても良いとのお触書に 激情型の私は怒りで震えました。

 

一般的には 自治会・・・やっぱり加入すべきとのご意見が多いでしょう。

地域社会の連動と言う問題もおありでしょうが、実際過去の地震や台風の非常時に我が自治会は何の昨日も果たしてくれませんでした。

市役所に行けば、水が配給になって居るとか、ブルーシートが必要なら市役所の入り口に山と積まれているとか・・・。全く回覧板もまわりません。

実績と言えば 秋の鎮守のお祭りに役員の飲み食いで経費を使い果たしているか、一部の連中のスポーツ大会や役員の為の自治会となり 周り番の役員は年寄りの辞退合戦で結局何年もしない内に又廻って来るという・・・・。

 

戦前の隣組という悪しき日本の風習は連綿と受け継がれ 時に村八分や右ならい。一斉に強いものに巻かれる・・・と言う今も昔も日本の構造は一緒です。

 

自治会長のこの横暴に、何とか話し合いの場を設けてほしくて 区長さんに仲介の労を頼みましたが、「町内会費を納めていない人は町民と認められません」との連れないお返事。

区選出の議員さんに相談しても「町内会に入らないと、地震が来てタンスの下敷きになっても誰も助けに来てくれないよ!」

どいつもこいつも 自治会長との話し合いを避けていました。なんかとっても面倒な御人らしいです。

そして・・・・

完全に孤立無援の13世帯になりました。

いよいよ私も覚悟を決めました。  誰も頼らない!

 

自分たちでゴミステーションを造るんだ!!!。

早速自宅に13世帯を招集し、全員の依頼を取付け土地探しを始めました。・・・と言っても該当する土地はわずか3カ所しかありません。

そのうち2ヶ所はほぼ不可能の空き地であり、残る一カ所は強靭なブロック塀に囲まれた空き地とは言えない場所でした。

 

しかし、冒頭の写真の通り。

この土地の賃貸契約を結び、ブロック塀を解体し、13軒の出資によるゴミステーションが完成し、先日市の申請業務を終了し、この15日から使用の許可が下りました。

 

因みにこの申請には地区長の許可が必要でしたが、シカとしている区長の許可がもらえない事は分かっていました。これは、 13軒の代表が市の窓口で直談判のうえ区長に代わって許可を頂きました。

 

手伝ってくれたご主人達、多額の出資をしてくれた13軒のみんなのお陰で無事行きつく先に行きつきました。

そして、この13軒の結束の固さに思わず 「これが自治会だ!」 思いました。

 

日本中にあふれているゴミ難民の方に・・・・。

きっとどこかに解決策はありますよ。 頑張れ!

 

 

行ってきました!京都一人旅

京都一人旅。

念願かなってやっと行ってきました。

二泊三日のちょっと贅沢旅行です。

初日・新幹線から眺める富士山に解放感を味わいながらお弁当で昼ごはん。

 

京都到着後、伏見稲荷に直行しました。

多国籍な人種の居る街です。

人の多さに驚きながら・・・。

この目で眺める緋色の鳥居群に圧倒されながら、三十三間堂に向かいます。

まあ観光ガイドにもならないので 感想はこの辺で・・・。

 

 

絵にかいたような日本の美を堪能しながら、ちょっと疲れてホテルに向かいました。

何やら 京都のバスは観光客で満員になり地元の方々が迷惑しているとの情報に気を使って すべて地下鉄やらJR線を使って移動です。

後は歩け歩け!

前回はタクシーで移動したため 何処をどう回ったか記憶が定かでは無いため今回は自分の足で回りました。

京都駅から JR京阪電車で 丸太町駅下車。

京都御所の縁をグルーっとテクテク歩いて 京都御所の周りを堪能しながらホテルに着きました。

 

京都のホテルは6年前に宿泊したブライトンホテルです。

古い建物ですが、兎に角接客が素晴らしい。

まるでお殿様になったような接待を受けてきました。

夕食は 二日共 このホテルの紹介の懐石料理とフランス料理のお店に行きました。

 

人生初のフランス料理のフルコースも頂き、思い残すことはありません。いつ死んでもいいと言いながら・・・医者に通っていますが。

 

出発一週間前に 胃の不調で胃カメラを飲んだその口でビールやらワインを頂いてきました。

一人ぽっちは家でも旅でも同じですが、自分がどんなに幸せな人間であるかしみじみかみしめた3日間でした。

 

寂しさと自由はペアーです。

亡き夫がくれたこの自由な時間をかみしめながら、あと少し楽しんで夫の元に逝きたいとつくずく思いました。

 

近隣と言う名の恐怖シリーズ

恐怖は 突然近隣からやってきました。

 

ある日突然ポストの中の怪文書に気が付きました。

聞けば 近隣は2日前に投函されていたとの事。

差出人は この地区の自治会長らしいのです。

 

 

突然です。

寝耳に水! とはこのことです。

思えばこの自治会元々30世帯程の大所帯でした。

班長・と言うお役目が1年ごとに廻り班長は その年の祭礼やスポーツ・地区の行事にフルに駆り出されるという・・・奴隷の様な1年が30年に一回・・・・回って来る予定でしたが・・・・。

しかし、どこの地区でも同じ様に高齢化が進み、ほとんどのお宅が高齢や病気を理由にこれをパスするようになりました。

 

その結果・・・お若い家庭がこのお役目終わったと思ったらまた数年後に回って来る。という悪循環に陥り あるご家庭の勇気ある奥様が「じょう~~ダンじゃない!。私自治会辞めます(# ゚Д゚)」となりました。

 

その時一斉に不満が爆発し 15世帯の脱退者が出てしまったのです。

 

それはそれとして、このゴミステーション。

その後も特に問題も起こさず皆で管理を行い きれいなゴミステーションを維持してきました。・・・・が この所不法投棄が目立つことが多くなりました。

新しく入居なさった外国の方はこの犯人とされ、ステーションの入り口に名前入りで投棄禁止の張り紙が貼られました。「●●さん ゴミを捨てると警察。ポリス~ポリス」と書かれています。

 

それはさておき、私は・・・と言うと「激怒」です。

自治会長は何の権限でこの市民の生活圏を制約するのか。

当時はこの販売会社のゴミステーションだったようですが、その後市に移管され市民に提供されてきたもので、管理は自治会長一人でやって来た訳ではありません。

新しく(と言ってもほとんどが、20年以上の生活を行っています)住まわれた方々もきちんと約束を守り暮らしてきました。

 

そこにこの爆弾が投げ込まれたのです。

近所ではざわついていたらしいのですが、お盆ボケの私は2日遅れのスタートになりました。

自治会に戻れでもなく、出ていけとばかりのこの文章に私は感情が抑えきれず、この自治会長の所に意見書を携えて家を出ました。

しかし、お向かいのご主人とお話ししていたら、今行っても揉めるだけで何の役にも立たない。とのことで引き返すように言われました。

 

しかし、諦めの悪い私は即刻 市役所の環境課に行きました。

しかし、環境課では「ここでは扱えません」との事。

私の娘とお向かいのご主人と3人で町はずれのゴミ処理センターまで行きました。

この文書を呼んでもらい今後の解決策を相談に乗ってもらいました。

 

たまたまこの地区の地区長さんにもここでお会いできて会議室をお借りし、このことの相談に乗ってもらってきました。

地区長  「自治会長と話してみますが、あなたたちね~班にもどりなさいよ!」と穏    やかで押しつけがましく説教をされて帰ってきました。

 

どうしても納得いかない私は(この時の事が、地区長さんから大変わり者との評価を頂いたようです)次にこの地域から出ている議員さんにも電話を掛けて相談に乗ってもらいました。

 

この街ではどこに行っても自治会から抜ける!という自由は保障されていないようでやはり「班にもどりなさいよ。」とのお説教。

 

わたしはもどらないとは最初から言ってないのです!!!!!!!!!。

この的外れな文章をなんとかせや!   と言っているのです。

納得できれば、頭も下げましょう、戻ってひたすら意味のない役員同士の飲み会の御酌も致しましょう。  といってるのです!。

地区選出の議員さん・・・・「 この街はね、この地区をモデルとして住民の福祉を充実させて、災害にそなえているんですよ。  このままじゃあなたが箪笥の下敷きになってもだ~れも助けにきてくれませんよ!」

 

何だと! 災害に備えて福祉の充実だと? 

「4年前の大型台風で4日も電気が止まった時 、自治会で何をやってくれたんですか?」  と私

「なんの連絡網もなく井戸の人は水無い・電気ない・食べ物無い 状況が全く分からない・・・・で市役所に行ったら あるはあるは・・・。

水・山のように積まれた水。

ブルーシート・ 山のように積まれたシート・

お菓子もパンも山のように積まれていて、なぜこれが自治会を通して末端の私達につながって来なかったのか。

この時も心細さと、怒りで震えていました。

箪笥の下敷き結構です。早めに死なないと子供に迷惑かけますから。

 

その翌日 センターでお会いした地区長さんから私に電話がありました。

地区長さん「自治会長と昨日話したけどさ~  あんた意地はらないでもどりなさいよ。  大体ね、区費払わない人は区民じゃないから」

 

・・・・・・・・納得・・・おっしゃる通り・

私はここでこの連中と話すのをやめました。

完全に問題がずれています。

自治会とゴミステーションの問題は法の管轄が違うのですから。

ゴミは私たちの生活の大動脈です。

人間として衛生的に生きる権利を話し合いも持たず切られたのです。

 

話はまだまだ続きが在り、ゴミ難民の私達15世帯の事の顛末はまだ少し先になりそうです。

法律の限りを調べて、このイカれた暴走老人に一矢を報いたいと思っています。

15件は私の声に賛同してくれて実行委員会を作り新たなゴミステーションを探して2度と戻らないと固く誓いました。

続編は又お伝え致します。

 

 

 

 

 

 

我が町に芸能人がやってきた!

遅ればせながら・・・・。

世間をザワつかせている我が町に住む芸能人。

後藤祐樹さん。「ゴマまきの弟」と呼ばれている彼について。

 

先月の市議会議員選挙で1000票以上の得票を集めて見事上位当選しました。

 

正直最初はあまり好感を持っていませんでした。

この街に住んで5年で市議会議員?   ムリ無理!!!!・・・って。

芸能人のこのノリ  悪乗り・・・と。

 

しかし、選挙戦の動画をYouTubeで見たり、彼の考えを興味深く見ながら 彼の今までの過去との変わりように何か心を動かされて行きました。

 

選挙戦前は ヤッパリ私と同じ考えの圧倒的多数が「後藤祐樹 この街なめてね~?」

みたいな感じでした。

でも圧倒的に古参の多いこの街の議員さんの中で 何か新しい涼しい風を感じた多くの住民の支持をえたようです。

キチンと街頭演説を行い自分の意見を伝えて自分の過去にひるまず生きていく覚悟を感じました。

 

中島美幸の「ファイト!」 ・・・と言う歌が聞こえてくるようです。

心に在りながら何も出来なかった私が、果敢に挑んだ彼の生き方を笑う事は出来ないでしょう。

♪ 戦う君の事を 戦わないやつが笑うだろう~♬

いいえ! わらいません。

 

これからの4年間を私は見ているよ! 後藤祐樹君!

きっと次はトップ当選出来るように頑張ってください。

そして既得権にあぐらをかいている古参議員さん達。次はもう支持しないよ!

 

彼がこれからの人生をこの街の再生に掛けてくれるならきっと素晴らしい人生になると楽しみに見ています。

 

 

 

 

 

 

女の一人旅

涼しいですね~。

ブログの書き方も忘れた今日このごろ。

えへへへ(^^;) 京都一人旅に行く事になりました。

♪この坂~を越えたなら♪♫幸せ~が待っている・・・・・てね。

 

京都は亡くなった夫といったところにどうしても行きたかったのです。

夫の死をボ~っと泣き暮らすでもなく  過ぎて往った人は、可哀そうなのか。

はたまた幸せだったのか。2018年1月夫は逝きました。少し目を離した1時間がまにあわなかったのです。

 

夫と25年前に二条城前の〇〇ホテルに泊まった時は初めての京都。

貧乏人が行ってはいけないのを 承知で一泊の旅に出ました。何の知識もなく伏見城。  私にはセンスがないのでしょうな~・

金で飾られたものに「もののあわれは」感じません。豊臣の秀ちゃんの家臣になれば即刻打ち首晒し首ですな・夫は名前は英ちゃん  豊臣の秀ちゃんと同じなのでまあ何とか自分の命乞いはするでしょうが・・・・まま~要領の悪い人だから結局さらし首になったと思いますが、あの日の京都は何かに解放されていったのです。

驚くなかれ! 馬鹿夫婦は朝のご飯のお替りを御櫃で3鉢も頼んでしまいました。

特にお腹がすていたわけではありませんが、ここの朝ごはんメッチャ美味しかったんです。おかずいらないの!

旅の恥はかき捨てと言うから御櫃3鉢空っぽにしてきたことが在りました。賄さんの顔がわすれられません。

 

・・・・その後は悲し。。。。うれし。。。一人旅が・・・2回目です。

1回目は立てた計画に振り回されて2日目には【どこ廻りはったんや 」と軽く京都弁・

 

 

今回は大丈夫やろ!(すでに京都弁マスターしたつもりでいやはりますえ~)

京都駅から稲荷退社・33軒堂・ブライトンホテルで休憩 寺町から。銀閣寺。

哲学の道から平安神宮~夕食は西陣と決めておます。これが1日目です。

 

食い意地もいい加減にしないと胃カメラが待っています。

実は胃の調子が悪いのです。どこまで運の悪い奴っていますよね。

2日目は祇園の方を回ります。

上賀茂神社・下賀茂神社太秦映画村・木屋町祇園で夕食・ホテルに戻って西陣散策

これで2日目終わりです、

3目はタクシー乗ってひたすらお土産買いまくり・京都駅地下でお菓子を買いまくり。

これで私の胃袋に刺さった棘は抜けるのか?

 

仕事はどれも同じ顔をしていない。

必ず難しい問題をまとって見えないように傍に来る。

まとった問題がやっと見えるようになると、仕事からは逃げられなくなってしまうので、私の胃袋はいつも荒縄で縛られたようになっているので太れない。

身長162 体重46キロ 風が吹くときその辺転がっているおばあちゃん・多分私です・まあ京都の楽しい写真アップしま~す。