designershome’s blog ~デザイナーズホーム~

専業主婦から不動産・建築の会社を起業したおばさんの話

おばちゃんが突然不動産やになる訳2

果てしない修羅場をくぐっておばちゃんは不動産屋になりました。

家族の危機を乗り越えなければ・・・。と思い続けた割には今一つ覚悟が出来ていなかった様です。

のちに踏み入れる建築家としての遠い道程に比べたら、専業主婦の暇つぶし程度のものだったにも関わらず、37歳の私はやっぱり世間知らずだったと思います。

 

千葉市の駅のすぐそこに学校はありました。

久しぶりの机の匂いや教室の香りはとても刺激的でしたが、その授業の内容には絶句してしまいました。

到底私の頭でこの問題が解けるようになるとは絶対に❕・・・おもいませんでした。

週2回ほどの通学に残りの自学の毎日。

何度やっても同じ間違いの繰り返し。

正しいものはどれか?・・・・全部正しい!

間違っているまのはどれか?・・・・全部間違えている!

どこをどう答えを見つけるのか。

袋小路にはまって身動きが取れずドンドン追い込まれていきます。

今では珍しいビデオではない、指導員による授業。周りはまだ若い世代の方や、もう何年も不動産に関わっているような方。

 

   友がみな我よりもわれよりえらく見ゆる日よ花を買い来て妻としたしむ

                               石川啄木

の心境でした。

何より何でこんなに頭が悪いのか・・・。

後で思えば、小さなほころびが見抜けなくては不動産屋は務まらないのです。

こんなひっかけに引っ掛かるようでは仕事はできないのです。

 

家族の状況はどんどん悪くなる一方・・・でも、私の試験の解答はいつもどっぱずれ。

50点満点で35点取れれば合格ラインです。25点・28点30点・・・

自宅では教科書と首っ引き・・・そう・・その時はこれが人生の全てでした。

 

1年が過ぎ・・・確か10月の 本試験の時には私のメンタルは完全に壊れ

試験1日前。学校の指導員に「先生・明日の試験受けたくないのですが・・・」

先生「いや~。折角1年頑張って来たのですから、まあまぐれという事もありますので

受けるだけ受けてみませんか?」

 

確かに・そのレベルだったとおもいます。

当日の本試験の緊張は、諦めたと言っても私の1年間。寝食を忘れて家庭も子供も放置したまま突っ走ってきたのです。

後で考えると子供がどんな顔をして何を話していたのか全く思い出せないくらい思い詰めていました。

本試験は問題用紙が回収される為、自分が何点取れたかは発表までわかりません。

あんなに凝縮された2時間。感覚は10分程度のものでした。

(後に迎えた建築士試験は4時間。最も短い4時間を後に経験することになるのですが。)

ただ

自分の答えを思い出しながら学校の答え合わせに向かっていました。

う~ん・・・30点?  32点❓   あ~34点かも。

合格ラインにあと一点足りない。かも❓

 

しかしその年の合格ラインは34点だったのです。

もしかしたら合格ラインに入って居るかもしれないと思った時の感動は今でも忘れません。

なぜか涙がこぼれてきました。

どんなに苦しくても辛くても泣くことなどない私が流した涙です。

ひたひたと迫りくる我が家の危機にほぼ滑り込みの状態で 合格通知が届いたのは

12月の初めの事でした。

 

次の年から始まる修羅場のほんの1場面の幸せな12月でした。

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