自分の過去を掘り返す仕事は、時に自分史・・・等と誇らしいデビューを飾ったりするものですが。
私の自分史は、余りに過酷で残酷で 自分を傷つけずには書けないものばかりでした。
おばちゃんが突然不動産屋になった訳.の更新作業をしているうちに何か気分が悪くなってしまって・・・フラッシュバックしてしまいました。
長々と書き溜めた私の30年史は誇らしい所はほとんどなく、みじめだったあの頃の詳細な駄文を読んでいるうちに 吐き気がしてきて結局全文消去してしまいました。
一度に描こうとするから、面白くもない駄文になってしまいのです。
焦らずに少しずつ 少しずつ書いて行きたいと思っています。
ここから書いて行こうとする私のその後ですが、夫なしには語れないものです。
夫亡き後 ある日 ふとネットで目にした記事に私は釘付けになりました。
「カサンドラ症候群」
カサンドラとは人の名前のようです。カサンドラさんが夫と抱えた生きずらい状況。
それは正に私の事でした。
ここにたどり着いて何かストンと腑に落ちることばかりで、生きることの不器用さはここから来ていることを知りました。
夫は 亡くなって4年になります。
どんな人かと言うと一言で 「無色透明」な人でした。
自分の会社が倒産寸前の時にも、私がアル中同然になった時も彼は 無色透明でした。
特にずる賢い人間ではありません。
バカでもありません。
ゼネコンの入社試験はトップで入ったと当時上司から聞きました。
土木の図面を書かせれば東京支店で右に出るものは居ないと言われていました。
ここで何が違うのか私には説明がつきません。
しかしここから少しずつお話しする一連の事件は何故かいつも私の顔ばかり見えてきて夫の顔が思い出せません。
夫が主役だったバブルの2年間は他人の保証人と他人の借金返済の為に泡と消えました。
ゴキブリのような人間達に食い物にされ 自宅から一歩も出るな、誰とも話すなと言われ頑なにこれを守っている間に彼らに大金をもっていかれ東京の一等地の事務所も総革張りのソファーセットも全て夫の借金として残りました。
ほぼ同時期に社会人デビューを飾った私など出来ることなど焼石に水。
結果現実逃避をしたりお酒におぼれたり目を覆いたくなるこのトンネルの中で 2人の娘たちはたちはひたすら夜が明けるのを待っていたとおもいます。
まあ結局今日まで生きてきたのですが、どのように生きてきたのか詳細は思い出せません。病気の母を抱え家は火宅の様でした。
只 私がその後、建築士を取得し、借金だらけの人生をリセットして自分の会社を立ち上げる迄、きっとどこかで神様が見守って下さったとしか考えられません。
心のどこかで覚醒し、自分を、家族を立て直す機会を待っていました。