自分の為に作る食事は 生ごみの味がします。
勿論生ごみを食べた事はありません。
しかし夫が生きていたころ、私の建築士の資格を取るための足かけ3年もの月日は夫を料理人に仕上げてくれました。
不在の私に代わって、私の母から故郷の味を引き継いでいたようです。
それは美味しい真心の味でした。
しかも、今頃気が付いて・・・。私が 自分の為に作った料理はまるで生ごみのような砂のような味がします。
語り尽くせぬ45年の結婚生活の歴史の中で、最後の砦。自宅を金融に入れた時のお話をします。
当時の金利は11%でした。
まとまったお金を借入れて月ずきの返済は少し楽になりました。
もう名前さえ忘れましたが、今も大手で名の通った金融です。
「特別金利ですよ」 と言われて他に頼るすべのない私たちは最後の砦を沈めて気付け薬のようなお金を手にいれました。
その頃は、籠っていた時間の付けが回ったように、裁判所の呼び出しやら差し押さえの赤紙(私は知りませんでした)やら、もうやっと生きている状態でしたが子供の学費など必要なお金は勤務先の労働組合経由 労働金庫で、融資してくれて、給料天引きでしたので。寄らば大樹の陰・・・を実感していました。
さて・・・金融の払いですが・・・。
返しても 返しても元金に反映されません。
当然です。 ハイエナに生き血をあげたのですから。
1年たち~2年たち。 出口のない生活に疲れ切っていました。
私は当時勤めていた会社に拘束されていて宅建免許は使えません。
しかし、まだ40歳を少し過ぎたばかり。 なぜあんな思いをして取得した宅建免許をこんな事にしたのか・・・・。 このままでは終われない!
悶々とした暗闇にあって お酒の量は増えるばかり。自分の善と悪の戦いでした。
こんな時にふと目にした新聞の3面記事に こんな事が書いてありました。
大きな記事でした。目が釘付け・でした。
暗闇の中で 一点だけスポットライトが当たっていたようにおもいます。
胸の中でドキドキと鼓動が聞こえ 恐れ多くも石原慎太郎さんの奥様と肩を並べようとその時 決心したのです。
ここからの茨の道は 幸せに続く痛みであり40過ぎのおばさんの八方破れのリベンジがはじまりました。
この日は私の再出発の日であり、今日の道に続く一本道を歩き始めた日でありました。