designershome’s blog ~デザイナーズホーム~

専業主婦から不動産・建築の会社を起業したおばさんの話

黒歴史

人生を巻き戻せても・・・30年前の若い頃の私に戻せる時計があっても・・・。

もう戻りたくはありません。

やり直しなんてしたくもないし、間違えて又同じ道に迷い込んだら多分生きていることに耐えられなくなると思うからです。

 

会社を興してからの18年間は、大変なことも沢山ありましたがいつも「今が一番幸せ❕」  と実感していました。

 

30年前の人生どん底時代は、自宅前のベンツの取り立て屋さん・真夜中の嫌がらせ電話・月末の山のような請求書から始まりました。

体を病んだ母と籠ってしまった夫。

多分その時はそれなりにしていたと思いますが、子供たちの顔を忘れました・・・。

堕ちたな~。と感じていました。

 

仕事には真面目に行っていましたが、働けど働けど家計は火の車。

元々お酒は嫌いではありませんでしたが、楽しいお酒を友人たちと飲みかわす程度の幸せなお酒でした。

しかし、派手な暮らしを始めた私達夫婦からは大切な人達が一人減り二人減り・・・どん底の時代には誰も心を許せる友人はいませんでした。

その頃の職場の上司が独立することになって、何人かの仲間とその頃の会社を退職しましたが、1年もしないうちにお給料が4か月も貰えない事になって・・・。一緒に移った人が又一人減り二人減り。  又一人取り残されました。

しかも、その会社は私の宅建免許で営業していた為に、私が退職することはこの会社を潰すことになってしまいます。身動き取れない 目も当てられない状況でした。

 

アルコール依存症になった理由など挙げればきりがありませんが、弱かったのだと思います。

自宅に帰らず酔いつぶれる迄飲み続けました。

休みの日には朝から一升の酒を飲み続けます。

正月には3が日に6本の日本酒を開けたこともありました。

不安になると飲み始め、当然楽しいお酒ではないので・・家族もたのしく・・・はありませんよね!

 

破綻した家計のどこからお金を持ってきたのか。今では記憶も定かではありませんがまあギャンブル依存症・・何々依存症と言う人はその為に努力を惜しまないんでしょうね。

 

酒の上でのトラブルは覚えているだけでも山ほどあり、私の人生の黒歴史です。

 

過度のアルコールは後年認知症を引き起こす割合が高いようで・・・

現在68歳。今のところは大丈夫ですが物忘れにはかなり神経質になってしまいます。

 

前にも書きましたが、夫はもう自分の道を歩き始め自分のペースで人生をやり直していました。

朝は4時半に起き、分刻みでトイレの後は顔を洗い髪を整えゆっくりと朝食を取りながら、リュックに一日分の着替えを用意。

決まった時間に家を出て朝一番の電車で・・・決まったホームの立ち位置で・・・東京までいきます。

翌日の朝までほとんど休憩も取らずコッペパンをかじりながら、今なら信じられないような高額な金額をを売り上げていました。性格上半端な売り上げでは帰れない人でしたから。

 

しかし、この沼は底なし沼の様で、私が逃げれば逃げるほど状況は悪化の一途をたどり遂に自宅をサラ金の担保に入れることになりました。

思えば・・・底なし沼の底、その時はもう後がないと、もうこれしか生きるすべはないと、ついの住処さえ手放す道に迷いり込んでいきました。

 

しかし、この後私は不動産・建築業に最も必要な生きるための術。

家を建てるという事とは・・「人生をリセットする事」・・という事を身をもって知ることとなります。

どこかの大手の不動産のコマーシャルにこのキャッチフレーズが出ていますが、そんなことは30年も前に私が考えていたことです。

少し疲れました。

今日はこの辺にしておきますね。

今日の写真は、4年前西太平洋キリバス諸島タラワに最後の戦没者慰霊団として

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参加したときの海の写真です。

又この時のお話も機会があったら書かせていただきます。