当時勤務した会社の社長さんは 若くて新進気鋭のハンサム社長さんでした。
辞めるに至っては 皆さん少なからず御経験もおありかとおもいますが。
私の側から見た主観であって、一方的な意見を書かせて頂きます。
会社が喜んで辞めさせてくれるような人間にはなりたくありませんが、退職までには山や川がたくさんありました。
新進気鋭のその会社は 言わば破竹の勢いで伸びていきました。
伸びしろの沢山ある会社で、地域ではそこそこ知られる中堅になっていたとおもいます。
やり手の若い社長さんと右腕の専務さん、それを取り巻くフアンクラブ・・・というか行き場の無い訳アリ職人がいつもたむろしていました。
今までに経験したことのないカラーの世界に踏み込んだおばちゃん営業は、やがて社長さんとの間に埋めようのない軋轢が生まれてきます。
当時は私も 一年間で相当の棟数を稼ぎ出していましたので、会社から見れば「立派な意見を言う・・・」鼻もちならないおばちゃんになっていたとおもいます。
まず、出入りの人間を選別してほしかったのです。
破産した人、偽装結婚で戸籍を売った人、裏社会から出てきた人。愛人と本妻の二重生活をしている人。
まあ私も相当訳ありで入って居ますから、立派な事は言えませんが何か居心地の悪さをかかえていました。
「あなたがあるから、仕事がもらえるのではない。 会社があるから仕事がもらえるのだ。」と鶏と卵の理論で良く注意をされていたものです。
しかし、私の違和感はこれは生理的な何かであって・・理屈では説明できない何かを肌で感じていました。
一生の買い物をするお客様に、一生を掛けて全力で応えたい・・・この思いが空回りを始めました。
自分がそうだったように、人生をリセットする伴走者になりたくて 利益より顧客優先で 経営陣と対立することが多くなり・・・次第に私は煙たがられるようになりました。
まあ経営者と使用人の考え方はどこまで行っても平行線なのですが。
そして、私の肌で感じた違和感は、ある日実感となって目の前に現れてきました。
まだ若かった社長さが、健康を損なったのをきっかけに会社の中の空気が少しずつ変わり始めてきたのです
詳細は控えさせて頂きますが、会社経営の方針が変わってしまったのです。
まあ・・・どんな?・・・
深層に眠っていた隠れた部分が表に出てきたという事でしょう。
まあ色んな社長さんの経営方針がありますが、私はこれは付いて行く事が出来ないと判断したのです。
退職する人のありきたりな理由ですが、その時はもうこれしか道がないと思い込んでいました。
まあこの日から、半年の間住宅建築を抱えながら、ここからどうするのか!・・・。
悩みに悩みその年の年末、遂に退職をすることになりました。
もう、恐らく私のこの考えではどこに行っても経営者とそりが合う事はないだろうと悟っていましたので・・・・
なけなしの資本金をもって会社を興す事に決めました。
50歳6か月・・・羅針盤のない旅を又始めることになったのです
私の退職後6年でこの会社は倒産しました。