保護犬マリー
私の2022年は終わろうとしています。
世界の誰でもそうであったように人生に、戦争と疫病が大きく関わってその軌道を狂わせ始めています。
私はまだいい・・・・・。
人生も終盤を迎えているから。
これから子供を産み育て 教育していく世代の若者が気の毒でなりません。
しかし、私の住む町はなんと高齢者の多い事か。
9時のオープンを待ってなだれこむ人の波は、ほとんどが高齢者です。
道を行く人 車を運転する人 立ち話をする人・・・。
この人たちは わずかと言えども年金を貰い 一日短時間のパートをこなしわが子に迷惑を掛けられないと必死の節約生活に励んでいます。
若い人たちは、税金やパワハラ・教育資金・住宅ローンなどで苦しみながら家を建てても家族でここに居る時間はありません。
私も来年には大台に突入して 押しも押されぬ高齢者になります。
曲りなりなりにも会社経営を20年続けてきました。
知らず知らずのうちに大雑把な金銭感覚が身についていて、まずこれを直さなくてはなりません。
1,値段を見ないで買い物をする癖を直さなくてはいけません。
2,欲しいものを何でもすぐ手に入れたい衝動を抑えなくてはいけません。
3,退屈に慣れなくてはいけません。
4,いつも自分が中心だと思う癖を直して周りに一歩譲り子供たちの時代だと自覚しな
ければいけません。
5,,その他 沢山・・・・。
しかし、 年を取る事はこんなにつまらないものだと気が付いたのはコロナの頃。
しかも私は健康です。
いつ死んでもいいと言いながら 持病の薬を貰いに通院しています。
こんのままだと まだ20年位生きそうです。
嬉しいのやら、悲しいのやら。
生きることも死ぬこともとても難しいのです。
この老後の不安はどこから来るのかいつも考えています。そして結論が出ています。
死ぬことの自由が無いからです。
勿論余命宣告された夫がどんなに生きたかったか誰より知っています。
しかし、生きることも死ぬことも出来ずに末期の夫はわずかに動かせる目で私に「もういやだ!」と訴えていました。
先の見えないこの世の中で 人様に迷惑を掛けずに生き抜く事は至難の業です。
どんなに大金を持っても不安でしょうに、まして雀の涙ほどの老後資金はあと何年食いつなげますかね^。
もし、 ある年齢で生きることも死ぬことも自由に選択出来たら、、、その年までにやりたいことをやり尽くし心置きなく人生を謳歌出来るのに・・・なんてね!
生れてくる選択は自分で出来ませんがせめて死んでいく自由はあってもいいのかと考えています。
多分その時が来たらきっと「生きたい!」 と言うでしょうが、人生の一つの節目に「生きる事」「死ぬこと」自由に考えてみたいのです。
選挙権よりもっと欲しいもの・・・。自分の人生の終わり方の選択!!!!でしょう。