今更・・・なんですが。
生きる意味って何でしょうか?
68年も生きて中二病の様な事を言ってしまいました。
夢中で走った40代・・・念願の起業を果たした50歳。
沢山のお客さんから可愛がって頂いて沢山のマイホームに関わらせて頂きました。
Ⅾ51の様に 燃費はすこぶる悪いのですが蒸気を出して休むことなく走り続けたこの18年。
経営者としては 孤独ではありましたが、夫や娘たちに囲まれ家庭的にはいつも「今が一番幸せ!」と感じていました。
なかなかのカサンドラな妻でしたが、それでも夫が生きていた4年前までは本当にいつも今が一番!でした。
しかし、夫の最後の1ヵ月に私は人生最大のピンチを迎えていました。
NHKの日曜日のBS 街録「あなたの人生のピンチ」について街ゆく人にインタビューをする番組が好きで毎週見ています。
あなたの人生のピンチを聞きながら、すでに過去に乗り越えていらっしゃる方を羨ましく感じています。
夫が自宅で意識不明になって近隣の緊急病院に搬送されて、1か月後の終末期鎮静で天国に逝く迄、私は仕事上の最大のピンチを迎えていました。
心の傷が癒えぬままPTSDとなって今日まで生き続けているため 中々達観して話すことが出来ませんでした。
新築現場で起きた重大な事件の解決の為、私は緊急搬送される夫に付き添う事も出来ず
死の旅路に向かう夫に心配ばかりかけていました。
新築1棟完成させるには大勢の職人さんが関わります。長い間苦楽を共にした言わば戦友の様なものです。
しかし、一たび問題が起きるとこの中から次々と責任逃れや擦り付けが始まり最終的にはほとんどの職人さんが居なくなります。
当時は 本当に今大切な親友とも言える数名の職人さんが残って 原因究明やその回復に向かって努力してくれていましたが、最終的には総指揮官は代表である私の責任です。
何度も何度もテストして テストして原因がわからず私はほぼのノイローゼの様になっていました。
結局原因は サッシの組立不良か取付不良のどちらかなのですが、原因究明とこの回復工事の為 一度完成した外壁を二度に渡って西面全面撤去・修復を行いました。
サッシメーカーや取り付けに関わった職人は結局誰も責任を取らず自然解散となり、余命宣告された夫と、迷宮の森に放り込まれたような現場に一人取り残されました。
男性社会の中で 一本立ちするには十分な苦難の道のりでした。
頼りの次女は嫁ぎ先の義理の母親の介護に掛かっており、このお母さんは夫の2週間前、、、ほぼ同時にこの年の年末に旅立ちました。(夫は年明けの11日に亡くなりました)
この時 私は人生最大のピンチを迎えました・・・。がPTSDはまだ克服していません。今でも 雨音を聞くと体が震えます。動悸がして心拍数が上がります。
夫と幸せになりたくて燃費の悪いⅮ51は走り続けたのに・・・
一番大切な時に傍にいてあげられなかったダメ嫁。
その後まもなく襲ったコロナで急激に失速してほとんど自宅に籠りながら、小さな仕事をボソボソやっています。
働きバチはブラブラしていてもお腹がすくことに腹が立ちます。
いつ死んでもいいと言いながら病院に通い続ける身勝手もまるで中二病のようです。
長~い人生にはいろんな事がありますね~。
あんなに ジェットコースタの様な人生の最後にこんなピンチがまっているとは。
待て待て・・・。
まだ終わっていない!。
願わくは早めに切り上げたい・・・。
もうすぐ誕生日。 60代最後の年を迎えようとしています。