恐怖は 突然近隣からやってきました。
ある日突然ポストの中の怪文書に気が付きました。
聞けば 近隣は2日前に投函されていたとの事。
差出人は この地区の自治会長らしいのです。
突然です。
寝耳に水! とはこのことです。
思えばこの自治会元々30世帯程の大所帯でした。
班長・と言うお役目が1年ごとに廻り班長は その年の祭礼やスポーツ・地区の行事にフルに駆り出されるという・・・奴隷の様な1年が30年に一回・・・・回って来る予定でしたが・・・・。
しかし、どこの地区でも同じ様に高齢化が進み、ほとんどのお宅が高齢や病気を理由にこれをパスするようになりました。
その結果・・・お若い家庭がこのお役目終わったと思ったらまた数年後に回って来る。という悪循環に陥り あるご家庭の勇気ある奥様が「じょう~~ダンじゃない!。私自治会辞めます(# ゚Д゚)」となりました。
その時一斉に不満が爆発し 15世帯の脱退者が出てしまったのです。
それはそれとして、このゴミステーション。
その後も特に問題も起こさず皆で管理を行い きれいなゴミステーションを維持してきました。・・・・が この所不法投棄が目立つことが多くなりました。
新しく入居なさった外国の方はこの犯人とされ、ステーションの入り口に名前入りで投棄禁止の張り紙が貼られました。「●●さん ゴミを捨てると警察。ポリス~ポリス」と書かれています。
それはさておき、私は・・・と言うと「激怒」です。
自治会長は何の権限でこの市民の生活圏を制約するのか。
当時はこの販売会社のゴミステーションだったようですが、その後市に移管され市民に提供されてきたもので、管理は自治会長一人でやって来た訳ではありません。
新しく(と言ってもほとんどが、20年以上の生活を行っています)住まわれた方々もきちんと約束を守り暮らしてきました。
そこにこの爆弾が投げ込まれたのです。
近所ではざわついていたらしいのですが、お盆ボケの私は2日遅れのスタートになりました。
自治会に戻れでもなく、出ていけとばかりのこの文章に私は感情が抑えきれず、この自治会長の所に意見書を携えて家を出ました。
しかし、お向かいのご主人とお話ししていたら、今行っても揉めるだけで何の役にも立たない。とのことで引き返すように言われました。
しかし、諦めの悪い私は即刻 市役所の環境課に行きました。
しかし、環境課では「ここでは扱えません」との事。
私の娘とお向かいのご主人と3人で町はずれのゴミ処理センターまで行きました。
この文書を呼んでもらい今後の解決策を相談に乗ってもらいました。
たまたまこの地区の地区長さんにもここでお会いできて会議室をお借りし、このことの相談に乗ってもらってきました。
地区長 「自治会長と話してみますが、あなたたちね~班にもどりなさいよ!」と穏 やかで押しつけがましく説教をされて帰ってきました。
どうしても納得いかない私は(この時の事が、地区長さんから大変わり者との評価を頂いたようです)次にこの地域から出ている議員さんにも電話を掛けて相談に乗ってもらいました。
この街ではどこに行っても自治会から抜ける!という自由は保障されていないようでやはり「班にもどりなさいよ。」とのお説教。
わたしはもどらないとは最初から言ってないのです!!!!!!!!!。
この的外れな文章をなんとかせや! と言っているのです。
納得できれば、頭も下げましょう、戻ってひたすら意味のない役員同士の飲み会の御酌も致しましょう。 といってるのです!。
地区選出の議員さん・・・・「 この街はね、この地区をモデルとして住民の福祉を充実させて、災害にそなえているんですよ。 このままじゃあなたが箪笥の下敷きになってもだ~れも助けにきてくれませんよ!」
何だと! 災害に備えて福祉の充実だと?
「4年前の大型台風で4日も電気が止まった時 、自治会で何をやってくれたんですか?」 と私
「なんの連絡網もなく井戸の人は水無い・電気ない・食べ物無い 状況が全く分からない・・・・で市役所に行ったら あるはあるは・・・。
水・山のように積まれた水。
ブルーシート・ 山のように積まれたシート・
お菓子もパンも山のように積まれていて、なぜこれが自治会を通して末端の私達につながって来なかったのか。
この時も心細さと、怒りで震えていました。
箪笥の下敷き結構です。早めに死なないと子供に迷惑かけますから。
その翌日 センターでお会いした地区長さんから私に電話がありました。
地区長さん「自治会長と昨日話したけどさ~ あんた意地はらないでもどりなさいよ。 大体ね、区費払わない人は区民じゃないから」
・・・・・・・・納得・・・おっしゃる通り・
私はここでこの連中と話すのをやめました。
完全に問題がずれています。
自治会とゴミステーションの問題は法の管轄が違うのですから。
ゴミは私たちの生活の大動脈です。
人間として衛生的に生きる権利を話し合いも持たず切られたのです。
話はまだまだ続きが在り、ゴミ難民の私達15世帯の事の顛末はまだ少し先になりそうです。
法律の限りを調べて、このイカれた暴走老人に一矢を報いたいと思っています。
15件は私の声に賛同してくれて実行委員会を作り新たなゴミステーションを探して2度と戻らないと固く誓いました。
続編は又お伝え致します。