良く頑張ったね!・・・とか すごいね~。とお褒めの言葉を頂きます。
しかし、実際私は偉くもなんともなく・・自分勝手にやりたいことをやってきただけです。
本当に偉かったのは夫のほうでした。
誰に褒めて貰いたいわけでもなく、誰に媚びることもなく、日々淡々と生きていました。
そして誰よりも一生懸命に生きていました。
人生のやり直しが出来たのは、私ではなく夫の努力の賜物です。
自宅を手放す少し前、 幸せ玉が又届きました。
長女が結婚したのです。 何も出来ない親でしたが、親の卒業式をやってくれました。
5年後には次女も素敵な旦那様を見つけて、親孝行の結婚式を・・・。
私達にとっての勲章でした。
建築士の学校1年目は 職場との闘いでもありました。
ことごとく上司とそりが合わなかったのです。・・・。
それは お金の苦労をしたことのない彼らと、こんな人生を生きざるを得なかった私の決定的な人生観のちがいでした。
「建築士の学校に通いたいので、授業のある日は残業は出来ません。」
「・・・建築士・何すんの? うちは要らないよ!」
この勉強がしたい! ただその為だけに・・・・!炎天下真っ赤に焼けた自分の顔を見ながら、埃にまみれてきました。
同世代の事務系女子は 炎天下日傘をささなければ一歩も外に出ないのに、まるで私は野良犬。
今でもその名残が目の下にあります。
大きなシミ。
まあこれも勲章ですかね~。
「出席は一歩前進 欠席は10歩後退」 のスローガンの元、借金をして学校に通い始めました。
生徒は主に20代の大工さんや若い職人さんばかり。
おばちゃんは最年長。
法規・計画・構造・施工の4教科の授業はから始めます。
ビデオによる授業なので、わからなければどんどんおいていかれます。
特に構造は計算問題。 柱や梁に掛かる力の計算や 耐震・風圧などの計算問題が主です。私は 高校は農業高校出身で 学校で数学の授業はほとんどありませんでしたから、幾何学の世界ですね。
1教科確か1時間制限の4時間だったように記憶していますが、今はどうなのでしょうか。
入学の翌年7月の暑い盛りに1次試験。 これに合格して初めて2次試験の設計・製図に行けます。
何とか一次試験に合格したころに、私は上司との折り合いが決定的に悪くなり見切り退職してしまいます。無鉄砲でした。
行くあてのない貧乏退職です。流浪の旅にでてしまいました。
不動産屋にもなれず、建築士も宙ぶらりん。
アルバイトをしながらの製図の勉強は どんなに頑張っても時間内に書き上げることの出来ない難問でした。
平面図・立面図・矩計図・と言う3点セット。最初は7時間程度かかっている、この製図を5時間に短縮しなければなりません。
課題に沿って整然と、わかりやすく美しい図面を時間内に書き上げなくてはなりません。
毎日深夜1時迄書き続けました。
何とか時間内に計画を立てて完成させるところまでは行きましたが。
結果不合格・・・でした。時間内に書き上げることには成功しましたが、やはり完成度はいまいち。
半ば覚悟はしていましたが、やっぱり奈落の底に落ちた感がありました。
退職・・母の余命宣告・・・自宅売却 借金返済 、就職した不動産屋で、初めての飛び込み営業に泣いた日・・・。再起までの道のりは障害物競争の様にまだまだ先にありました。 夜明け前が一番暗い・・・そんな時代でした。