急に渋い題名を付けました。
父の会社の倒産の話を前日にしましたが、 その時縁あって助けていただいた 忘れられない侠客のお話しです。
今は、半グレ、とか反社会的勢力とか言いますが 勿論これを容認するものでなく、彼らはこの世界から足を洗った集団でしたから、そのくくりには入りません。
当時ゼネコンの子会社で下請けをしていた父の元に、ある集団が孫請けとして入ってきました。
それは、ある大きな組織から足を洗った親分と子分の・・・失礼!社長と社員、最初は5人程度だったと思います。
父の会社の隣にアパートを借り 集団生活をしながら土木現場で働いていました。
彼らは、 拳銃や日本刀をシャベルやハンマーに代え手に豆を作って働いていましたが、やはり私から見れば強面の面々。
顔では笑っていましたが父を恨んでいました。
聞けば彼らは つい最近まで有名な武闘集団で ほとんどが刑務所から出てきたばかりの素人なりたてのほやほや。
そのうちに、刑期を終えた社員が、又一人・また一人と増えていき最終的には10人程度の大集団になっていました。
その中に、昔のヒットマン・・・抗争の中で、相手の組長を銃で襲撃して殺人未遂で刑を終えてきたばかりのOさんと言う人がいました。
この人は 社長さんが特に大切にしてきた言わば社長さんの為には命も惜しまない懐刀の元侠客でした。
この人だけが、(tatto) 入れ墨の入らない唯一の人で 無口な穏やかな人。
この人のどこにその様な狂気があるのかその当時はわかりませんでした。
ある日 父とこの社長との間にもめ事が生じていることを知りました。
些細な事だったと思います。
しかし、男を売って生きてきたこの社長さんにはどうしても引けない事があったらしく、ただでは済まない状況に追い込まれてしまったのです。
ある日の朝、母がこんなことを言いました。
「昨日、食堂で誰かが魚の料理をしたみたい。まな板の上に魚の血が乗っていてビックリしたよ。」
夕方まで食堂には誰も居なかったので、恐らく夜中の出来事らしいと母は話していました。
その日社長さんが父を訪ねてきました。
手打ちがしたいと。 私にはその筋の事はわかりませんが、何と昨夜oさんは、自分の小指を出刃包丁で切り落とし 社長さんに和解の願いに行ったとのことでした。
通常この世界では、小指を落として願った事を聞かない訳にはいかないのだそうです。
父は・・・多分・・・命を救ってもらったのだと思いました。
彼は落とした指の痛さが 詫びの印だと医者にも行かず、包帯一つで凌いでいました。
これの前後に父の会社は倒産し、昨日のお話の様になってしまいましたが、彼は最後まで残って債権者との話し合いに同席するなど、本当に良く尽くしてもらいました。
母の手造りの料理に舌鼓をうち、兄夫婦 私達一家とある時期家族同然に過ごした彼は、債権整理が終わったことを見届け 消息不明になりました。
何年か経ったある日、一冊の業界紙が我が家に届きました。
oさんが会社を興し 社会復帰をする人の為に尽力しているとの写真と記事でした。
心ならずも五体に傷を負わせてしまった事は その後の私達家族の心の傷となっていましたが ・・・今では知る人は私一人になってしまいました。