designershome’s blog ~デザイナーズホーム~

専業主婦から不動産・建築の会社を起業したおばさんの話

地上げ屋になった話(1)

取りあえず会社を立ち上げ、ポチポチ仕事も頂いて何とか落ち着いた頃。

 

会社の目の前の不思議な空間が目に付きました。

広~い空き地で、雑木林の様な一団の中に 古い住宅が二軒点在していました。

雑木林と言っても 町のほぼ中心地です。

バブルも経験済のこの土地ならビックリするほどの値が付いたこともあるだろうに・・・。

 

早速謄本を取ってみたら、約800坪程の広さの畑です。

ご存知でしょうが、畑は簡単には売買は出来ません。まあ日本の農産物の自給自足の法則から、農地を簡単に手離せないような縛りなのですがここは市街地です。

なぜこんなに中心地にまとまった土地があるのか。

地主様は、東京近郊に住むお医者様だという事が分かりました。

 

話は飛びますが、 不動産の地上げ屋・・・って聞いたことがありますよね。

バブルの時代に暗躍したその筋の人たちは いわゆる地上げ屋と称して 無理な立ち退きや追い出しの為に手段を選ばず 土地をお金にかえる 言わば 日本の嫌われ者になりました。

専業主婦の頃、おせんべいポリポリかじりながらワイドショーに出てくる地上げ屋を見て不動産やって本当に悪い!...

と勝手に異物を見るようなまなざしで見ていました。

まさか、自分が「あの」地上げ屋になるとは夢にも思わず。ちなみに「あれ」は不動産屋ではありませんでしたが。

 

戻りますが、この地主様。 謄本上のお名前をネットで検索して行くうちにお医者様だとわかりました。

少し気おくれしながらも、丁寧なごあいさつを差し上げて 当社の目の前の土地について売買なさるご予定は有りますか?    と言うような事を書いて謄本上の住所におくったと思います。

 

地獄の底からほんの少し首をもたげたばかりの私に取って、お医者さまなどとは全くご縁が無く多分どこか病気にでもならない限りはお知り合いになるとは思っていなかったので、ほぼ諦めていました。・・・・がしばらくして、何とそのお医者様の奥方からお電話を頂いたのです。

聞けば やはり、色々因縁のある土地らしく、過去に何社もこの土地を手掛けていましたが、成功した業者はなかったとのことでした。

何気なく手を付けたこの仕事が、私を地上げ屋への道に引きずりこむことになります。

思えば長い道のりの初めは 怖いもの知らず。

知らないから できた事です。。。

知っていたらやりませんでした。。。    

 のっぴきならない状況でも 逃げ出せないから最後までやり通しました。

ビジョンも何もなくて手を付けているから、苦労と収益が不釣り合いな慈善事業の様な仕事になってしまいましたが。

 

まず農地のこの上に 借地権の家が二軒建っていました。

相当古~い住宅、と言うより 申し訳ないのですがまるで空家の様な家が建っていました。こんもり木の茂った中の二軒の住宅は 町場の喧騒から離れた空間にひっそりと建っていました。

 

地主様はとうにこの土地の売却をご希望でしたが、昔からの借地人とのやり取りがうまくいかずにそのまま放置していたというのです。

勿論 売却には異存はありませんでした。

但し条件がありました。 この立ち退き交渉には一円のお金も手出しはしない事。

全て買主と借地人との交渉で賄うこと。後の売買契約後の現金のみ受領するという事でした。

 

ぼ~っとして聞いていました。

どこから手を付ければいいのか。

買主を探す?  立ち退きが先? 農地転用が先? 金額交渉が先?

とりあえず、絵を描く・・・?って言うんですかね。

会社の壁に仕事の順序を年表風に書き込み 一個ずつ塗りつぶす事にして まず 一軒目のお家から尋ねることにしました。

建物の謄本上のの持ち主は 恐らくもうこの世の人ではありません。

表示登記のみで保存登記その他一切の登記が無く 住んでいるのはその相続人の誰かだという事がわかりました。  聞けば中年の 男性二人が住まっているとのこと。

その昔 不動産業者が地上げの為に訪ねて行ったとき、そのうちのどちらかの男性が鎌をもって追いかけてきたと・・・。

鎌をもって追いかけられたら、多分私は間違いなくどこかでコケて殺されるだろう・・・。

何日か恐怖で考えこんでしまいましたが、船は岸をはなれたのです。

生唾ゴックンしながら、ある日私は思い切って藪を漕いでその家に入っていきました。

ちなみに、娘には「10分たって帰って来なかったら、警察に連絡するように。」と言い残して。

 

お天気の良い日でした。

外の世界から足を踏み入れた私の目に入ってきたのは、庭に咲く花々とにこやかな二人の兄弟でした。

見えないものに怯える・・・。なぜこんなに優しい兄弟がまるで恐ろしい鬼ヶ島の鬼の様に思えたのか。   ごめんなさい!彼らは心根の優しい体の弱い兄弟でした。

亡くなったお父さんの所有のまま手つかずの状態でしたがが、紆余曲折の末4人兄弟の二人から相続放棄をしてもらい兄弟で相続してもらいました。

しかしこれは、後の結果論でありこの時はこのお金の捻出先や 彼らの移住先はまだ見つかっていませんでした。

 

彼らと兄弟たちの意思表示を持っていよいよ引くことが出来なくなりましたが、移転先を探さなくてはいけません。

あと、一軒の住宅は所有者は隣町に住んでいて 借地権者が住んでいるわけではありませんでした。また貸しです。

この又借りしている住人は認知症を患っているお母さんにお父さん、上のお姉さんに妹と恋人、そのまた友達の居候ちゃん。  何より猫13匹と犬一匹。

もうこの時点で普通は諦めますよね。

建物の所有者は強面でしたが、訪ねた私の話を聞いてくれて条件が折り合えば立ち退いてもいいとの感触。  しかし、やはりこの住人の移転先を探さなくてはなりません。

「また借りさん」との話し合いはこれもなかなかで、移転してもいいけどまず病院の近くでなければならない。それと13匹の猫と一匹の犬を連れて行かなくてはならない。

家賃は今と同じで住宅の程度は今より悪くてはいけない。

 

もうこの記憶を思い出している時点でため息ばかり聞こえます。

あの時代の奇跡としか言いようのない出来事は、情熱だけが武器だったと・・・懐かしく思い起こしました。

少し休憩して、次回この続きを聞いていただけますか?