designershome’s blog ~デザイナーズホーム~

専業主婦から不動産・建築の会社を起業したおばさんの話

どうしても納得できなかった!

まあ 法人立ち上げ早々の骨折事故は、自分の不注意から起きた事故でしたが・・・。

 

私はどうしても納得がいかなかったのです。  保証協会の事。

 

事の顛末は、一本の電話から始まりました。

銀行を通じて申請した県の企業融資にかかわる県の保証協会からの一本の電話でした。

私の父が経営していた 昭和57年に倒産した会社の債務が残っているので、この件をどうするのか協議したいので、出向いて下さいとの内容でした。

 

耳を疑いました。

かれこれ30年近く前の話で、父はとうの昔に他界しておりこの件は私に取って 解決済との認識・と言うより なかった事になっていたからです。

 

父が倒産した頃 私はまだ20代の後半 子供を育てているさなかに父の会社は倒産しました。

当時のお金で1億以上の債務があり。   両親に泣き付かれ夫は何件かの保証人になっていましたので 無傷ではいられません。

不渡りを出した翌日の父の会社は修羅場でした。

其の後 

高利貸しの債務は夫の実家の援助で返済し、私は夫の実家では針のむしろに座わらされていました。   当然です。

保証協会からの呼び出しには 母と兄嫁を伴ってその都度出向き、今出来る精一杯の送金を果たしてもいます。

 

其の後母は 高齢者施設の介護を住み込みで勤め上げ この送金は欠かさずしていたと認識しています。

後に母は病に倒れ 療養生活に入りいつの間にかこの送金は途絶えていたようです。

 

延滞利息を含め3500万円ほどに膨らんだこの債務を、30年も経って私に返済しろと言うのです。

誓って言います。

一度も催促は来ませんでした。

住所をくらましたこともありません。

 

担当者二人は 私を呼び出してこんなことを言いました。

「ご主人と 同じ釜でご飯を食べているんですよね~」

当たり前だ!

「それが問題なんですよ」

「債務を返済できない人と同じ釜の飯(めし・とは言わなかった)をたべている人に融資の保証は出来ません。  この債務完済をお約束してくれるなら、今回の融資の許可をすぐにでも出しましょう。何なら融資に上乗せして出しますよ。」

 

興してまだ半年もたたない けし粒の様なこの会社に 多額の債務を背負わせるというのです。

彼らの目的は この債務を眠りから復活させること・・・。さすがのおバカな私にも理解出来ました。

確かに、これは税金で賄われているものですから、当事者の責任は免れないでしょう。

彼らも 返済できるとは夢夢思ってはいないのです。

しかし、事の起こりは 放置された債務なのです。

 

「今日1万円でも入れて頂ければ すぐに融資の検討に入らせていただきます。」

さすがに1万円はもっていましたが。

この日の 会話のやり取りで、どうしても納得できないしこりが胸の中に生まれ 

保証協会の帰り道、私の足は弁護士事務所に向かっていました。

 

後日 保証協会の担当者と保証協会を相手に50万円の慰謝料を請求して裁判をおこしたのです。

新進気鋭の弁護士先生は 相手に不足はないと自身満々。私に取っては あの世に旅立った実父の倒産時の傷をえぐり出す苦しい2年間が始まりました。

裁判費用は大きかったですが、何より小さくても独立した法人と 倒産した会社の娘と言う個人の立場の混同が納得いかなかったのです。

言わば闇討ちをして「期限の利益の喪失」を盾に取り立てに入ろうとしていましたが、

何度も言いますが、私や私の会社に支払い義務はありません。

 

相手は4人の顧問弁護士を立ててきました。

筆頭弁護士は 経験の豊富なキャリア十分の先生と若手の弁護士さんでした。

内容証明のやり取りが何度か繰り返されて 最終弁論の日。

地方裁判所の法廷に立ちました。

傍聴席は、保証協会の職員で満席  私は二人の娘に見守られて出廷しました。

訴えた担当の彼は 今や英雄。  債権を蘇らせるための言わば禁じ手を使ったのですから。  彼らはこの裁判で多くの事を学ぼうと興味津々です。

裁判官は お若い方でした。

私の弁護士さんの弁論を聞き、私の話を頷きながら時にその禁じ手に驚きながら・・・

熱心に聞いて下さいました。

最終弁論が終わり 保証協会の担当者が頭をかきながら退廷したとき  「勝った!」と思いました。

 

1か月程してから 届いた弁護士先生からの一言は「残念ですが、負けました。

控訴しますか?」

からだの力が抜けました。

税金を払いながらその税金で雇われた弁護士に敗訴したのです。

結果 控訴はしませんでした。  取りあえず巨人に一刺しした蟻の様な存在でしたが、私の中の大きな経験になりました。

蟻は巨人を倒す事は出来ない・・・と。

 

其の後、 時効の援用  と言って正式にこの債務を支払う意思は無い事を公にして私の戦いは終わりましたが、二度と保証協会の利用は出来ずに今日まで至っています。