designershome’s blog ~デザイナーズホーム~

専業主婦から不動産・建築の会社を起業したおばさんの話

宗教からの脱却

私の人生の大きな部分を占めてきた新興宗教があります。

脱会して10年以上になりますが、改めて洗脳されることの恐ろしさをお話ししたいと思います。

 

確か入信したのは30歳頃だったと思います。

現在は日本中に支部のある大きな宗教団体ですが、当時は本部とその他に2~3の支部を持つまあ中堅の社会には害をもたらさない宗教ではありました。

 

私には一人の兄がおり、これは又機会があればお話ししたいと思いますが言わば一家の癌だと言われていました。

私達一家はこの兄に翻弄されて もはや打つ手がないと諦めていたある日、この兄が一つの宗教に心を奪われ人生をやり直すと言い出したのです。

母は涙を流さんばかりに大喜びをして、一も二もなく大賛成。それに伴って父・兄嫁も入信しました。

私は暫く胡散臭い勧誘に抵抗していましたが、母に懇願され仕方なく親孝行の一環として入信したのです。

誘われて何度もご神域と称する本部に出向いて行くうちに少しずつ、少しずつ洗脳状態になっていきます。

先祖の因縁が現在の苦難の原因である。救え❣救え!と親戚中勧誘が始まります。

私の長女が小児喘息を患って入院生活が長く学校になかなか行けない事が当時の私の悩みでした。

これが私の持つ因縁であると諭されて最後には一か月に10人の信者の募集をしなさいとのお達しに夢中で勧誘を続けていました。

この世の善と悪は宗教では問題でなく、信仰だけが導きをすることが唯一の救いであるとの教えに 結局兄は自分の素行を改めることなく、一家は離散・借金だらけで両親も当の兄もすでに亡くなっています。

 

人生の本当に働けた時代。  ご奉仕と言う名の搾取。

身体を患っているものは労働で、金銭に悩んでいるものは金銭でと時間もお金も浪費していきました。

週一日の休日には朝7時の祈りに間に合うようにと4時起きして片道1時間半かけて本部に行き夕方4時までの奉仕活動。自宅に帰るのは夜7時。仕事に戻る週明けはクタクタです。

 

癌を患った多くの人が奉仕をしながら亡くなっていくのを何人も見ています。

しかし、洗脳されているものには 宿命の縁が切れなかった人。としか見えません。

最初は「癌からの生還」などと、宗教ビデオを随分見せられたのに亡くなった方たちを見ても何の不思議も感じませんでした。

年末にはご神体の交換があり1体年間3000円です。

教祖様はあと少ししたら、世界平和になりこのお金は必要なくなります。とおっしゃったとか・・・。(今は更に値上げしているようです)

私が入信したときは教祖様は「お隠れになった」と世襲の二代目の御時代?でした。

私の様に何人も勧誘している人は、信者さんの面倒を見ながら幹部になっていましたのでさらに一口30000円の御札を頂かなくてはいけません。最終には10万円 又私の兄は年間1000万円の約束の元に多分200万円くらいの分納していたと思われます。

何しろ、出せば出すほど入って来るとの教えで、時はバブルに浮かれた俄か成金がご神域を闊歩していました。

 

休日の時間も僅かばかりの貯金も、時には子供たちの学校や子供会も・・・すべてを捧げたこの20年以上の時代は 目指すものは何なのかもうわからなくなっていきました。

そんなある日、ご神域には又箱ものが建ち始めました。

次々に建てられる箱モノは信者の献金で賄われます。

「青年館」と称するこの箱モノは豪華なホテルの様な佇まいでした。

すでに三代目があれこれ指示して建てられたこの箱は青年の為だと言います。

結婚式場として使用するのがメインなのですが、これを使用出来る人のリストが、ご両家の本人は勿論 その両親、又その兄弟3親等に至るまで信者でなければならないと・・・。

この献金が募られていた中で初めて私は????????。と思いました。

どこにそんな親戚がいるのか。 

誰のための箱ものなのか。   すでに二条城の様な門が完成し、子供たちの体育館、着衣からシューズ迄指定のものを購入し、次々に出来上がる建築物を私たちは拍手をして迎えなければなりません。

数えあげれば 不信感はどんどん募り、前進も後退も出来ない苦しみに入ります。

ここ迄信じた人生を否定することは出来ず、さりとて信仰を保つ事は尚出来ず・・・。

 

この時私は洗脳を解くことの難しさを思い知ります。

これにまつわるものが処分出来ないのです。

多分今でも・・・・ご神体を踏みつける事は出来ません。

しかし、私はこの時決心をします。まるで麻痺した腕をつかむように・・・。

段ボール箱に書籍や、名札やプレート。 その他を押し込んで本部に送り、新興宗教にはまったこの人生の時代にわかれを告げました。

 

仕事柄宗教と政治の話はしませんでしたが、洗脳されて一時代を共に生きた宗教でした。時には親戚も友達も失いましたが、これもまた人生です。

 

 

 

 

 

 

 

 

怖い女

この仕事を始めてから早30年になります。

本当に多くの方々と出会い一生のお付き合いをさせて頂いているお客様がほとんどですが、中には裾をまくって逃げ出したいお客様もいます。

 

女と一括りにすると間違いが起こります。

私も女ですが、その気性は男性に近いとされますが、この世には巧みに人を利用してのし上がっていく女(これは何人か存じ上げているが尊敬の対象)、利用されるだけの女、難癖をつけながら、当世暴力団でも使わない汚い方法で、何千円かのもうけを取ってほくそ笑んでいる怖い女(軽蔑する女)。

 

その他にも色んなタイプの女がいますが。

今日は後者。

怖い女についてお話ししたいと思います。

かれこれ20年前にこの腐れ縁はつながりました。

まだ勤め人だった頃の事です。

Hと言う女。 子供はなく夫婦二人暮らしで町はずれの一軒家に暮らしていました。

当時30代の中頃だと思います。

新聞に入った不動産のチラシを見て電話が鳴り 運悪く私はその担当になりました。

確か中古住宅の反響で自宅に呼ばれました。   その時は不動産の話はほんの少ししか出なくて、もっぱら彼女の宗教や、それにまつわる親戚の悪口に一時間ほど付き合わされました。

結局不動産が欲しいのか要らないのかわからないまま帰ろうとした私を、彼女は二階の衣裳部屋に否応なく招き入れました。

そこには沢山のウェディングドレスが部屋いっぱいに吊り下げられ、お色直しの衣裳迄盛沢山あります。

そこはまだ女性ですから 私も珍しくって「素敵ですね~」などと調子を合わせていました。

「今日は付き合って頂いたお礼にあなたにこのドレスを着せて写真を撮ってあげる!」

「いや~いいですよ。結構です!」

よれよれの下着を着ている私は他人の前で上着を脱ぐなどと考えも及びません。

しかし彼女は私の上着に手をかけ力任せに引き抜きます。 観念して私は営業職の身で有ながら客の家で肌着一枚にさせられてウェディングドレスを着せられてしまいました。 余りの事に脂汗が流れます。そんなにきれいなドレスではなかったけれど汗が付いたらどうしようかとハラハラです。

その後何枚ものウェディングドレスやお色直しのドレスを着せられて、写真を撮られました。

ま~プロに毛が生えたようなカメラでそれらしく撮っています。

やっと撮影会が終わり無罪放免だと思ったら私は甘い!

「ちょと~!。 これで仕事してんだからお・か・ね・!」

「は?」

結局サービスだと言って安くしてもらって3000円搾取。

????何の仕事の成果もあげられず会社に戻りました。

社長には申し訳なくて報告でできず。

 

その後・・・。同業の女性社長さんから。

「気を付けたほうがいいわよ! あなたの写真を見せびらかして営業掛けているわよ。」

聞けばHは不動産屋を集めて営業に来た男女問わず自分の話を聞いてもらったりお金を見せびらかしたりするのが趣味の様です。 たまたま、断れない営業が来たものだから自分の商品を売りつけたようです。

全くほんとにダメな不動産屋です。

Hとはこれに懲りて縁を切ったのですが、その後独立してから町でバッタリ再会してしまいました。

ここからが、怖い女満開です。

私が独立したことを聞きつけていたようで、今度仕事お願いね~。と猫なで声。

鳥肌が立つほど嫌で、私はあいまいな返事をしてその場から逃げます。

 

しかし、その後自宅のリフォームを頼みたいとの電話が入り。

ここで断れないおばちゃん不動産はいやいやながら訪問しました。

リフォームと言っても押入れの中段を外すだけの事です。

しょうがないのでこれを無料で職人を入れて、サービス仕事をしてしまいました。

そこから、職人を動かすのが気の毒な仕事を5万~10万と繰り返して発注してきます。

そのたび、呼びつけられて1時間も2時間も宗教の話、親戚の悪口・・・10年前と同じ話を聞かされます。

なんの事はない。彼女は本当に寂しがりやでした。夫は一度も会ったことはなく勤め人らしいのですが、恐らく全く妻を軽んじているようでした。

ここで終わりなら…寂しい女・・・で終了するのですが・・・。

自宅の中は至る所が 小さなリフォームされており、この仕事の各業者の評論が始まります。

そして、台風被害・義父の死亡の相続と彼女の中の事件は続き、私はそれに付き合わされる事になります。

小さなリフォームはそこに手を付けた業者の責任において、関係のない所まで修理を要求されます。

台風被害はた~んと見積りを取って保険を請求しながら、他の業者に発注します。

義父の相続は何か司法書士と揉めて多額の請求をされたとかのトラブルが発生して、急遽自分で相続をやると言い出してその書類作成の手伝いをさせられ何日か振り回され昼にハンバーガーをご馳走になりました・・・・?。

私の日当はハンバーガーです。

しかし、この相続した家のリフォームでまたもや古くなった下駄箱が壊れたのは私の職人のせいだと言い出した為、遂に私の堪忍袋が切れました。

逃げても追いかけてくる怖い女と縁を切るにははっきり伝えるしかないと。

この相続した家の賃貸の募集や管理の仕事は出来ないとハッキリ伝えました。

「工事だけ受注して、管理が出来ないんじゃ頼むんじゃなかった!」と言っていましたが、私はこれ以上責任は持てないと伝えました。

 

この寂しい女はどこに行っても問題を起こしていましたが、お金はその後の相続も含めて相当な額をもっていました。

誰が聞いても驚くその額は不動産屋に限らず、公表することで人は砂糖に群がる蟻の様に集まってきます。

そして、この切り札で誰でも思うようになると高を食っているのです。

Hと縁を切ったのはその中の一人と思われるのが嫌だったことも大きな原因でした。

たまに町で見かける事がありますが、いつも何人かの取り巻きがいて女王様の様に歩いています。

その後は良く知りませんが、どんなにお金があったって人の心や関心を引くことは出来ないと気が付くのでしょう。

怖い女は寂しい女でした。それだけなら友達にもなれたのに・・・・。

これって詐欺でしょう!

「住まいの終活」・・・と言う企画をしています。

相続して使えなくなった住宅の活用法・リノベーション・買取・・・不動産や建築にまつわるお仕事は無限にあります。

そんな中で、先日あるお客様からの紹介で地方のご老人にお会いすることがありました。お聞きした年齢よりも大部お若く見えましたが、かなりのご高齢です。

近県に住む息子さんが同行してお車で問題の中古住宅の前でお会いしました。

自己紹介から、今後の活用方法などのご相談に乗っていましたが、この住宅は亡きお兄様の所有とのこと。

子供さんたちも古い住宅なので相続はしない。とすでに放棄されたとのこと。

最後に残った妹さんが この利用価値を判断の上相続するかどうか決めるとのことでした。

息子さんも同席していましたが、会話にはほとんど参加せず、本当に運転手で同行した感じでした。

色々ご相談の上、結局私の会社が買い取るという事で決着が付き 週明けの法務局の謄本を取り寄せ次第金額を決定することで別れました。

お兄さんが亡くなって一年も放置していた家は荒れ果てて、雨漏りでキッチンの床は腐り始めていました。残ったゴミもかなりの量で苦戦することは想像に余りありましたが、手造りの離れがあって「面白い!」とおもったのです。

結局結構甘い値を付けて このご婦人は小躍りして喜んでいる姿が、電話越しに伝わりました。

当日買付証明と 手付金半額を契約当日入金する旨の郵便を送りました。

・・・ 3日後にそのご婦人からの着信がありました。・・・

しかし、契約の日程の連絡かと思いきや何か歯切れの悪い要領の得ない「ムニャムニャ」と話しています。

どうも根ほり葉ほり聞き出した結果は このご老人すでに相続放棄の手続きが終了していて、お兄さんの滞納している税金の支払い免除を受けて居ながらこの住宅を売り払うつもりだったようです。

放棄をしていれば税金の支払いを免れる事はご存知だったのか、それとも遠方にての手続きなので関東ではわからないと思ったのか。私の契約時の必要書類の手紙を見て恐らく隠し通す事は出来ないと踏んだのか・・・。

いまだにわかりませんが、何か割り切れないモヤモヤが残りました。

特に被害はありませんでしたが、何か狐につままれたようないや~な気分です。

 

詐欺と言うと思い出す極めつけの事件が今から18年程前にありました。

賢明な皆さんはこんな詐欺にはのこのこ出て行かないと思いますが・・・。

私はノコノコ出て行ったのです。

ある日オープンしたての私の会社に サラリーマン風の男性が入ってきました。

この人は「青山」と名乗り こんなことを話し始めました。

「私は、東北の仙台のある財閥の社長の秘書をしています。」

要約すると、この社長さんの東京の愛人が私の隣接する国際都市に住宅を建てたい。

ついては全権を任せられているこの秘書が、社長の家族に分からない様に内密で動いている。いつも通る私の会社を見ながら、この会社で土地を探し家を建てたい・・・。と

今思えば、財閥の愛人なら、もっとど派手なハウスメーカーで御殿を建てたいところなのに・・・。

 

なんとなく違和感を持ちながら、話を聞くだけ聞いてその日はお別れしました。

何日かしたある日、この青山から電話があり仙台の社長さんが土地を見に(確か2~3日後だったと思いますが、)出てくるので是非あなたに会いたいとおっしゃっている。

隣町の駅前のホテルに滞在しているので会いに来てやってほしいと・・・。

何故か朝8時と指定されておバカな私は 朝早くに起きて準備して7時半ごろに駅前に到着しました。

駅のロータリーで時間を調整していると駅の階段を下りてくる青山を見つけました。

大きなあくびをしながら降りてきます。

あ~。秘書さんてたいへんなんだな~。と思いましたが、今にして思うとその姿は財閥の秘書・・・と言うより競馬場に向かう遊び人・・・と言う感じでしたね。

 

時間通りに到着した私は、青山に案内されて何階かの個室に行きました。

そこにはとても品のある、ロマンスグレーの紳士が座ってにこやかに私を迎えてくれました。

この時点で私は完敗。 98%信じてしまいました。残りの2%は、彼が流暢な仙台弁を話したときに満了です。

なぜなら、私は仙台人だからです。

どんなお家が欲しいのだろう。 土地はどの辺に求めているのか。 私の頭は仕事でフル回転しています。

そんな時この財閥は「 彼女が今こちらに向かっている。少し時間がかかりそうですが、あなたは待つことができますか?」

私「全然大丈夫です!」

かくして私は詐欺師の仕掛けた罠に足を踏み入れました。

間もなくして部屋に一本の電話が入ります。

向島の料亭の女将がフロントに来ているので私に同席させて良いか?とのことでした。

別に私には何の支障もないので了解すると、間もなく年の頃なら70歳前後の女将さんが登場しました。

「社長さん! 昨夜は独り勝ちして・・・・。お金の清算にきたわよ~」と言って200万円の束を渡しています。

そうか・・・。昨夜この社長さんは向島でかけ事をして独り勝ちしたんだ~」

バサッと置かれた200万円をボ~っと見ながら、未知の話に耳がダンボになっています。

「そうか。  そんな金、今夜又繰り出してみんなでどんちゃん騒ぎすればなくなるよ。」

財閥はそう言いながら手元のアタッシュケースに手を伸ばし蓋を開けました。

なんとそこにはビッシリ詰め込まれた100万円の束がありました。

青山はここに3000万円あると言っています。何か妙な展開に私は少し後ずさりしました。

財閥は女将と青山を巻き込んで、新聞紙を広げ、この上で「お座敷競馬」と言うのを始めます。  多分この展開に私は間抜けずらをして口は半開きだったとおもいます。

目の前で100万円の束が行ったり来たりしています。そのたびに財閥はアタッシュケースを開けて今来た100万円を出したり入れたりしています。

 

しばらくして、 又部屋の電話がなります。

財閥、 スナックのお姉ちゃんが会いに来ていると言うのでのでフロント迄下りていきます。

そこで女将と青山。  財閥の悪口を言い始めました。

あんな我儘と付き合うのはもう我慢がならない!・・・と

そこで私に向かって「 社長さん この3000万円を私達で取り上げましょうよ。

簡単よ!  これいかさまなんだから!!!」「ほらこうして親になったらこんな風にしてこうして・・・」ムニャムニャ。

私のどんくさい頭では理解不能・・・と言うか 理屈にあっていないのです。

そのからくりだと、親の時には巻き上げることが出来ても、子の時には巻き上げられるのです。

昔から、賭け事は全く縁のない私は ましてやこの仕事の大勝負の場所で賭け事をするなんて考えられず・・・絶対拒否をしました。

ひとしきり財閥の悪口が終わったところで財閥が帰ってきます。

「いや~ごめんごめん。  全くしつこくて困るよ。」

そういって又お座敷競馬が始まります。そうこうしていると又フロントからの取次電話。フムフムと財閥が話し終えると今度は 財閥は私に向かって「いや~悪いね。彼女から電話で、お母さんが急に倒れて今救急車の中らしいんだ。 病院に送り届けてから行くから、少し遅れるけど待っててって言っているよ」

私は一抹の不安・・・え~こんな時に住宅の話なんてしていいの?  それどころじゃないのに・・・。

それにホテルの一室はなんか賭博場になっています。

私は部屋の隅で、いつ来るかわからない彼女を待っています。????

 

財閥 「  社長さんも待っている時間に 一緒にやらないか?

ここでこのお金持って帰りなさいよ。  今夜向島にご招待だ。」「10円持っていない?10円でいいよ」

10円は持っているし、元々アルコール依存症のきらいがあり、宴会のご招待には弱いのですが、この時は何故か何度もお断りしています。

だんだんしつこさに腹が立って 私の顔は険しくなってきます。

もうここでゴングです。

このあたりで 又電話。

彼女のお母さんが亡くなって今日は来れないと。

は~~~~~。

彼女が落ち着いたら又青山が電話をくれるとの事で、何か狐につままれた様に会社に戻りました。

今日あった事は何だろう。  夢だったのか。  幻か?

宅建設の話はどうなったのか・・・・。

そこから毎日青山の電話を待ちました。

1週間ほどで、この電話は使われていません。 のアナウンス。

ここ迄来て やっと私は決定的に詐欺未遂にあった事に気が付きます。

朝の八時に集合掛けられたのは、午前中のカモと午後からのカモがあったからです。

本当に勘が悪くてどんくさい自分に嫌気がさします。

多分何度でも騙されます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

目が覚めちゃった話「クエゼリン」

今夜ももう夜中の12時・・・眠れない。

まあ明日の朝までには眠れるだろうから、ブログの更新でもしようと思います。

 

目が覚めちゃったお話をします。

4年前に太平洋戦争で戦死した海軍の伯父の慰霊の旅に行きました。

私の伯父は21歳と言う若さでマーシャルギルバート島のタラワで玉砕しました。

貧しい農家の長男が親孝行するためにはこれしかなかったのだと思います。

あの頃は。。。。私は勿論生まれていませんが。

2日も掛けて東太平洋のキリバス共和国にわたり。 海に沈む島 海抜0メートル地帯です。キリバスの慰霊祭は現地の状況を鑑み静かに執り行われます。

f:id:designershome:20220323235558j:plain

現地の住民には日本語が分かる人が多いので、気を付けて話すように。とのご指導を頂いて、ひっそりと執り行いました。

マジュロ日本大使館の方 厚生労働省の方 ジャイカの方々、海外青年協力隊の方々。現地の日本人のコンダクター等数えきれない程のお世話になり私は長年の夢であった母方の伯父のお参りができました。

f:id:designershome:20220324000434j:plain

f:id:designershome:20220324000512j:plain

ミレ島にある電波基地

マジュロから~ミレ島 マエロラップと玉砕の島・餓死の島・を回ってきました。

タラワは生存者がほとんどなくて、詳細は分かりませんが、アメリカは当初の計画が日本人の兵隊に阻まれて大勢の戦死者がでたようです。海は血で真っ赤に染まったと。

「恐怖のタラワ」 と今も伝説に残っています。

戦後74年もお参りに来れなかった非礼を両親に代わってお詫びをしてきました。

18歳で志願して21歳で戦死した伯父に幸せはあったのだろうか?

涙が止まらず、そこにあった一握りの砂をポケットに入れ、故郷の東北のお墓に届けてあげました。(これは違反ですから、やらないでください)どんなに遠い所でさみしかったのでしょう。

DNA鑑定に検体は届けてありますが、いまだに声はかかりません。

 

そこで!

目が覚めちゃった話をします。

この時もう1班が別ルートでkuezerinn「クエゼリン」に行っているのです。

タラワよりもっと太平洋の内側。

ここも大勢の戦死者を出しています。そして、ここはユナイテットステートの秘密基地になっていました。

1班の方はここに3泊して軍隊さんと食事を共にして生活してきました。 慰霊した方にお聞きしたら、島の中は完全なアメリカン!!だって。

シルバニアファミリーの町の様に作られて、家族が暮らしその中に基地があるんだって。中には本当においしい食事がいつもあって、日本人を歓迎してくれてたって。

でも、     今回は異例。蟻の子一匹とおさないようですよ。

私は欲張りだから、日本に帰ってからも、シルバニアアメリカんハウスが見たくて、何度も「クエゼリン」を検索しました。一目アメリカの暮らしがみたかったからです。

そのたびに 絵にかいた真珠の首飾りかなんかの図面が出てくるので(島の地形図)4度目に検索したその瞬間・・・・ガー~~~~~~~~ん・・・・・・・・・・💀☠

「警告  💀  あなたがこれ以上検索なさった場合はあなたの経歴・データーが世界中に公開されます。」と言う海軍のメッセージが流れます。

実はここはアメリカ海軍の太平洋の本拠地だったとしりました。

はああああ~~~~「悪気はありません!おゆるしを~」と言いたかったけどアメリカ弁は話せないので 軍隊に物申すのは死んでからにしようとおもいなおしました。

 

現状の世界大戦を水際で守っている彼らにしてみれば、とんでもない事でした。🙇

f:id:designershome:20220324005258j:plain

マジュロ日本大使館

しかし、慰霊団にアメリカの彼らは「君たちのお父さん。お兄さんはこの飛行場の下に眠っているから、遺骨はあがらないよ!」

聞けば山の様な日本人の屍は滑走路を造る時、大きな穴を掘って埋めたのだそうです。

出てきません。

タラワは浅瀬が長いのですが、その先の海溝の深さは3000メートルあり、そこに大半の遺骨が眠っているそうです。取に行けません。

 

ヤルートなどは、完全に補給を絶たれ骨と皮になって自分の靴さえたべたそうです。

全員が餓死です。

f:id:designershome:20220324011210j:plain

f:id:designershome:20220324005954j:plain

ミレ島の子供たちは明るい。酋長さんもいる。

はるばる会ったこともない姪が会いに来て伯父は喜んでくれたのだろうか?

世界が、又戦争をしていることを知っているだろうか・・・・。

散らした命のおかげでい今日本は幸せです。

どうぞこれ以上戦争が起きませんように・・・・。

総勢25人、アメリカのチャーター機で行かせて頂きました。

あの世に一つのお土産が出来ました。

おまわりさんはなぜ奥さんと言うのか!

今日は不動産業のお休み(水曜日)

昨日の雪が嘘のように晴れ渡りました。

 

昨日、一軒の中古住宅の買い付けが決まり、今日は少しホッとしてのんびりしています。

お休みでも仕事の電話は掛かって来るので、まあ心のお休みはありません。

 

「忙中閑あり」 の真逆。

コロナで暇すぎて ネットフィリックスの韓流映画もほとんど網羅し、残り少ない人生の大切な時間を無駄に浪費しています。

 

実は去年の11月に私の勲章 ゴールド免許が敢え無く途切れることになりました。

珍しく 忙しい時で、県の出先機関の土木事務所に出かけていた時のことです。

前方の丁字路の手前に一時停止の看板があり その横の立て看板の所にお巡りさんの制服が見えました。

「あ~一時停止の取り締まりをやっているな」・・・と認識しながら、私は丁字路の手前で徐行しながら一時停止をしました。

「こんなところで隠れて見ているなんて、正確わりいよな~。」   と思った瞬間

「pi~~~~~~!!!!!」  と笛が鳴り 「あ~。又誰か捕まっている」と振り返った瞬間   私の目に飛び込んできたのは 何と私に向かって指さして笛を吹いている若いお巡りさんでした。

????????。 止まりましたけど・・・・???何か・・・?

みたいな感じで一旦停車しました。

お巡りさん「奥さん! 今停止線越えましたよね!」

私     「いいえ。 止まっていますけど!」

お巡りさん「いいや・・・止まっていませんね」

      「とりあえず 脇の道路まで移動して頂いていいですかね?」

 

訳が分からず きっと冤罪だ! 疑いは晴れるだろうとこの時はタカをくくっていました。

何しろ私は 20歳で免許を取って以来 一度もこの様な事はなくバリバリのゴールド免許でしたから。

お巡りさんは 私の車の窓をのぞきこみながら「奥さん 一時停止していませんよねえ」

私  「私は 佐藤です。 奥さんではありません」

とりあえず軽くジャブを打ち込みます。

しかし彼はまるで コンピューターの様に 人間の言葉には反応しません。

お巡りさん「 停止線を越えていますよ。奥さん」

私「奥さんではありませんから。 車載カメラに写っているはずですから間違いないです。」

何しろ私は 一時停止をしているのです。

しばしの押し問答の末車載カメラを確認することになりました。

お巡りさん「奥さんが モニター動かして下さい。」

私 「モニターの動かし方知りませんのでお巡りさんやってくださいよ!」

お巡りさん「自分の車なのに動かせないんですか!」

どこまでも頭にくる言い回しの抑揚のないロボットめ!

結局、 お巡りさんがモニターを回すことになったのですが、私の車に乗り込むのも「のっていいですか?」 「触れていいですか?」と 何か不測の事態を恐れているような廻りくどい言い方に イライラした私の返答はぞんざいです。

この間に、通る車は私を尻目に一時停止違反・その先の踏切もまったくスルーで面白そうに私をみています。

結局モニターには はっきりとした、停止の事実は写っておらずお空の青さだけが映し出されていました。

車の外に戻ったお巡りさんは勝ち誇ったように、私の免許証チエックと 違反切符をきっています。

私「 お巡りさん 私お金が惜しいんじゃないんですよ!。ゴールド免許!何十年も無事故無違反できたものをどうしてくれるんですよ!」

お巡りさん「 良かったですね! 奥さん。これで又安全運転ができますね」

私「私は さとうです。 奥さんじゃありません!」

 

問答に疲れた私は、最後に大笑いをしてしまいました。

「お巡りさん、 確かこんな漫才ありましたよね~(笑)」

「は~?  そうですか。 まあ奥さんどうぞ気を付けて安全運転でお願いしますね」

 

は~。  ロボットに何を言っても反応しません。

しかし彼らはなぜ、人間を お父さん・おかあさん・奥さん・旦那さん・に色分けするのでしょう。

子供のいない人もいます。 結婚していない人もいます。さすがに おじいさん・おばあさんは無いでしょうが、私の様に自己主張の強い人間はこの一括りがにがてです。

 

ちなみに 私の会社の駐車場はいつも この一時停止の検問をやっています。今まではこれに協力して駐車場をお貸ししていましたが、もう貸しません。

因みに 

去年のこの取り締まりの時 、お巡りさんは駐車場の私の車の陰に隠れていました。

たまたま、外出するときに車の移動で隠れるところがなくなります。

「お巡りさん、車移動しますが、お巡りさん隠れているところなくなりますね。」

どこまでもお節介な私。

お巡りさん「私は 隠れているんではありません。 待機しているんです。」

どっちにしても同じです。

出庫した後には 隠れ場のなくなったお巡りさんが手持無沙汰の様に立ちすくんでいました。

お巡りさんのおかげで 私は一時停止に異常に神経質になりましたので、ありがとうございました。 奥さんより

 

 

 

 

 

未解決事件に遭遇した!

新築現場は、どんなに早くても着工から約4か月。 そこまでに辿り着く迄土地の選択や住宅ローン付け、図面の打ち合わせ建築確認などで 半年以上かかります。

長い間その現場に関わり その関係者の方々、又は近所の方に出会いそして別れます。

 

今から10年程前になりましょうか・・・・。忘れられない現場がありました。

とある町の とある現場で私は恐怖の体験をすることになります。

 

建築中の現場には 毎日いろんな人が覗きに来ます。

その中でも いつも決まった時間に愛犬の散歩に来るおじいさんがいました。

年の頃なら70歳前後の 優しいそうな言わば好々爺と言う感じでしょうか。

 

Sさんと言いました。

現場の土手に腰掛けながらよもやま話の中で、実は同郷人だと分かるとお互いに見知らぬ土地で生きている苦労などを語り合い、5回に一回位の頻度でお会いしていました。

 

そんなある日 Sさんから「実は 売りに出したい土地があるんだけど相談にのってほしい」 と電話がありました。

早速Sさんのご自宅をお尋ねすると 何か奇妙な感じがしました。

外部を拒むような塀の造りや、チャイムの無い門に 放し飼いの(多分)ドーベルマン 

ボクサー?  兎に角いつも連れている犬ではない凶暴な(感じの)犬。 良く飼いならされていてSさんが合図をすると唸るのをやめます。

にこやかなSさんとはあまりにかけ離れたその同郷人の佇まいにかなりの違和感をかんじて戸惑った記憶があります。

 

やっと中に入らせて頂くと 造作したプレハブの内部には何やら 恐ろしく怖い人たちが4~5人・・・いや6~7人いました。

彼らの一人と目が合った瞬間 何か得体の知れないぞ~っとした恐怖が襲ってきて目をそらしました。

いつもの通りのにこやかなSさんの部屋には 金色の額縁の「金融業」の許可証がかざってあり、そこで私は初めてSさんが 金貸しだと知ります。

 

彼に依頼を受けた物件は 私の町から車で30分程離れた海に近い山村でした。

やっとたどり着いたその地は 恐ろしく臭い・・・藪の中に古~い農家造りの家があります。

近所に養豚場 そして肥料小屋があったからです。

おそるおそる庭先に入ると、玄関の入り口に何か紙が貼ってあります。

「この家は 差し押さえてあります。 住人は中に入らないでください」  確かそんな事が書いてあったような記憶があります。

記憶は定かではありませんが、 この住宅が何かトラブルの原因になっていることが分かりました。

少し離れた農家のお父さんに聞いたところ、この家の息子さんが多重債務者になって方々ともめているとのこと。

様々な情報を手に入れて私は この案件が私の手に負える案件で無い事が分かり、後日Sさんに丁重にお断りをしました。

何かSさんの底知れない怖さを感じながら・・・・。

 

それから、何か月もしないある日 完成した新築住宅に入居したお客様から驚きの電話が入りました。

何とSさんが 殺されたとの事。

・・・・・・・絶句・・・・です。

本署の刑事さんが近所で聞き込みをしていたらしいのですが、何せSさんは近隣とのお付き合いが全然なくて 何ならSさんが住んでいたことも知らない人が多数いたとのこと。

内部を見た人も どんなお付き合いがあったのかも全く謎の人物だったというのです。

しかも、当初は病死か事故死かとおもわれたのですが、解剖の結果 首を千枚通しのようなもので刺された殺人事件だというのです。

刑事さんが 私の所を訪ねて来たのは それから1ヵ月も経った頃でしょうか。

刑事さんはお土産のお菓子を持って約一時間の道のりをやってきました。

 

住宅内部の事 出入りしていた人間の事 細部にわたり知っていることをお話ししました。

私はやっていません!  と付け加えて・・・笑

あれから長~い月日が流れましたが、いまだに犯人は捕まっていません。

迷宮入りしたようです。

でも あの日私と目があったあの男の顔は思い出す度身震いがします。

忘れられない出来事でした。

 

 

 

 

 

 

 

地上げ屋になった話(2)

地上げ屋」・・・なんて死語を今頃に話題にするなんて本当に恐縮です。

 

今世界で最もキーワードになっているのは「ウクライナ」。

人的戦争であり・・・しかし不動産の地上げは経済戦争のようなものです。

進みだしたら止まらない。  進むも地獄引くのも地獄。

 

かくして、私は借地権者・底地権者の同意をとりつけたものの、この資金の調達方法

まず、資金提供者を探すことから始めなければなりません。

幸いなことにこの地は まあ町の中心地。国道に面して市の道路に抜け出せる二面道路に位置する雑木林でした。

 

間もなくかねてよりお付き合いのあった地元では有力な事業主様から、金額が合えば買ってもよいとの申し込み。

しかし、これも条件付きです。

国道に面する接道長さが不足しているとのことで、更に隣接する二つの地主様への買取交渉が入りました。

 

金額面では何とか合意に達しましたが、更に仕事が増えてしまって どこに手を付けてよいのやら途方にくれました。

借地権者の落ち着き先、隣接する地主の交渉、相続の手続き、予算の確保。犬猫の行先。農地転用。

 

其のころ、別口でこんな話が舞い込みました。

あるところから、近県に住む方が兄弟の相続で発生した古い住宅を処分したい。と・・・

今回の場所からそう遠くない場所です。

金額交渉で手間取っていて 縁のない住宅かと諦めていました。

別々の案件が 頭の中で結び付く迄少し時間がかかりましたが、ある日の深夜ふと・・・「あれ?  これってあのご兄弟の引っ越し先にならない?。」と気が付きました。

翌日早速お二人をご案内したら、案の定とても気に入ってくださって 一か八かの買取交渉です。遠方まで出向き買取を行う事になりました。

予定通りいけば この兄弟に住宅の提供とまとまったお金を渡すことができます。

しかしどこかでつまずけば、高値で買い取った住宅を引き取らざるを得ないのです。

 

結構なストレスでしたが、決めた事ですから先行投資でこの住宅をおさえました。

又、別口で総合病院の近所に 貸家の募集を頼まれました。

この住宅、場所は悪くはないのですが若干問題がありました。

トイレが汲み取りなのです。

これも、ひらめきが少し遅れてきました・・・が大家様に頼み込んだら、汲み取りのままでよければ 猫13匹犬1匹 大家族了解とのこと。

これがまとまれば、借地権者に大きなお金を残し このまた貸し借人のも少しのお金を渡すことができる・・・。

大変なお引越しでしたが これも何とかクリアーしました。

 

一生分のツキを使い果たしてしまいましたが、このように落ち着き先がきまったのです。一つのずれが生じればすべてが水の泡になる危険な賭けでした。

 

残りの地上げもまあ多少の苦労はありましたが、それまでのストレスを考えれば大したことはありません。

紆余曲折を経て 約1年余りの契約 解体 その後の決済。 めでたく各関係者に分厚いお金をお届けして、この地上げは終わりました。

買い取った会社の社長さんから「良くやったね~。ここは買いたくても買えない、売りたくても売れない大変な土地だったんだよ!」

と労いのお言葉を頂いた時には 涙がこぼれました。

会社を興して間もない頃の冒険の旅でした。

現在この土地には 大手のファミリーレストランが出来ていて、言わばドル箱。買主様の大勝利でした。

 

怖いもの知らずでなければ出来ない事をやりました。

もう二度といやです。