今夜ももう夜中の12時・・・眠れない。
まあ明日の朝までには眠れるだろうから、ブログの更新でもしようと思います。
目が覚めちゃったお話をします。
4年前に太平洋戦争で戦死した海軍の伯父の慰霊の旅に行きました。
私の伯父は21歳と言う若さでマーシャルギルバート島のタラワで玉砕しました。
貧しい農家の長男が親孝行するためにはこれしかなかったのだと思います。
あの頃は。。。。私は勿論生まれていませんが。
2日も掛けて東太平洋のキリバス共和国にわたり。 海に沈む島 海抜0メートル地帯です。キリバスの慰霊祭は現地の状況を鑑み静かに執り行われます。
現地の住民には日本語が分かる人が多いので、気を付けて話すように。とのご指導を頂いて、ひっそりと執り行いました。
マジュロの日本大使館の方 厚生労働省の方 ジャイカの方々、海外青年協力隊の方々。現地の日本人のコンダクター等数えきれない程のお世話になり私は長年の夢であった母方の伯父のお参りができました。
マジュロから~ミレ島 マエロラップと玉砕の島・餓死の島・を回ってきました。
タラワは生存者がほとんどなくて、詳細は分かりませんが、アメリカは当初の計画が日本人の兵隊に阻まれて大勢の戦死者がでたようです。海は血で真っ赤に染まったと。
「恐怖のタラワ」 と今も伝説に残っています。
戦後74年もお参りに来れなかった非礼を両親に代わってお詫びをしてきました。
18歳で志願して21歳で戦死した伯父に幸せはあったのだろうか?
涙が止まらず、そこにあった一握りの砂をポケットに入れ、故郷の東北のお墓に届けてあげました。(これは違反ですから、やらないでください)どんなに遠い所でさみしかったのでしょう。
DNA鑑定に検体は届けてありますが、いまだに声はかかりません。
そこで!
目が覚めちゃった話をします。
この時もう1班が別ルートでkuezerinn「クエゼリン」に行っているのです。
タラワよりもっと太平洋の内側。
ここも大勢の戦死者を出しています。そして、ここはユナイテットステートの秘密基地になっていました。
1班の方はここに3泊して軍隊さんと食事を共にして生活してきました。 慰霊した方にお聞きしたら、島の中は完全なアメリカン!!だって。
シルバニアファミリーの町の様に作られて、家族が暮らしその中に基地があるんだって。中には本当においしい食事がいつもあって、日本人を歓迎してくれてたって。
でも、 今回は異例。蟻の子一匹とおさないようですよ。
私は欲張りだから、日本に帰ってからも、シルバニアのアメリカんハウスが見たくて、何度も「クエゼリン」を検索しました。一目アメリカの暮らしがみたかったからです。
そのたびに 絵にかいた真珠の首飾りかなんかの図面が出てくるので(島の地形図)4度目に検索したその瞬間・・・・ガー~~~~~~~~ん・・・・・・・・・・💀☠
「警告 💀 あなたがこれ以上検索なさった場合はあなたの経歴・データーが世界中に公開されます。」と言う海軍のメッセージが流れます。
実はここはアメリカ海軍の太平洋の本拠地だったとしりました。
はああああ~~~~「悪気はありません!おゆるしを~」と言いたかったけどアメリカ弁は話せないので 軍隊に物申すのは死んでからにしようとおもいなおしました。
現状の世界大戦を水際で守っている彼らにしてみれば、とんでもない事でした。🙇
しかし、慰霊団にアメリカの彼らは「君たちのお父さん。お兄さんはこの飛行場の下に眠っているから、遺骨はあがらないよ!」
聞けば山の様な日本人の屍は滑走路を造る時、大きな穴を掘って埋めたのだそうです。
出てきません。
タラワは浅瀬が長いのですが、その先の海溝の深さは3000メートルあり、そこに大半の遺骨が眠っているそうです。取に行けません。
ヤルートなどは、完全に補給を絶たれ骨と皮になって自分の靴さえたべたそうです。
全員が餓死です。
はるばる会ったこともない姪が会いに来て伯父は喜んでくれたのだろうか?
世界が、又戦争をしていることを知っているだろうか・・・・。
散らした命のおかげでい今日本は幸せです。
どうぞこれ以上戦争が起きませんように・・・・。
あの世に一つのお土産が出来ました。