決して不幸自慢をしている訳ではありません。
火宅に迷い込んで来た母は、長い間の心労がたたり膠原病からリュウマチを患っていました。
不幸の2乗です。 空気が動いただけで痛い!と言いました。
わずかな母の年金は私たち一家の生活費に消えました。
夫はそこから一年ばかり自宅に籠り、時々会社の清算があると言っては高速代を掛けて東京に足を運び・・・何の収穫も得ずに帰ってくる。と言う毎日を過ごしていました。
払っても払っても先の見えないサラ金や取り立てとの闘い。
高級車は差し押さえられてもうありません。
溶けた・・・って言うんですか?
私は・・・と言ってもまだ不動産屋にはなれません。
宅建をとったくらいで、不動産屋になれるほど世間は甘くありません。
就職した会社の雑用をしたり、そのうちに経理を見よう見まねで始めて、会社の心臓部を任せられるようになりました。
今まで見たこともないような社会。大勢の仲間に囲まれて誰もが背後の事情など語ることもなく貧乏人も金持ちも 独身貴族も皆おんなじ土俵でいきていました。
私はもう自分の境遇から目を背け逃げ出していました。
其のころからアルコール依存症と言う今なら分かる重大な病気に掛かっていました。
真っ黒なパズルを組み立てて行くと、中々見つからないパースがあります。
このころの記憶は私が私を守るためにぼんやり霞んでいます・・・。
又言いますが、不幸自慢をしているわけではありません。
私が50歳にして建築 不動産を立ち上げてから一貫して貫いてきたこと。
それは逆境にある人へのエールです。
頑張れ!がんばれ! もうすぐ夜が明ける❣
伴走します。 と言う精神でした。
私の暗闇が明けるのはもう少し先ですが、わずかな光も見えてきます。