designershome’s blog ~デザイナーズホーム~

専業主婦から不動産・建築の会社を起業したおばさんの話

イナゴ食べた事ありますか?

突然ですが・・・。

イナゴ食べた事がありますか?

 

 

まあ、良く草むらにいるバッタの親戚みたいな生き物ですね。

因みに私は 戦後の生まれです。

食糧難で草や虫を食べたわけではありません。

 

只、「随分長い事生きて来たな~」 最近よく思う事があります。

それはふと 胸の中に湧き上がる懐かしい・・・と言うか ・・嫌な思い出ですね。

 

今から さかのぼる事60年程前の 昭和30年代後半 私の小学校には3日間のイナゴ狩り・・・という授業がありました。

この3日間は 授業がありませんが 一日3キロの イナゴを取って来る・・という授業です。

 

東北の米どころの私のふるさとは、日本一の田園地帯で見渡す限りの田んぼが広がっています。

今はもういませんが、昔 そこにはイナゴが大量に発生していました。

今ほど農薬散布の無い時代でしたので コメの害虫であるイナゴは 農家の大敵でした。

そこで 教育委員会か何か知りませんけど 義務教育の中で この害虫駆除で得たお金で学校の遊具を購入しようなんて、今の親たちが聞いたら気絶しそうな方針が実行に移されていたのです。

イナゴは 何になるかと言うと・・・・

「佃煮」 になるのです。

これを佃煮業者なのか 商社なのか知りませんが売ってお金に換える・・・という筋書きです。

 

朝は まだ暗いうちに 星空を眺めながら 自宅をでます。

手にはおにぎりと 布袋に竹ずつを括り付け50センチ四方にまとめたイナゴ袋をひとまとめにした荷物を自転車に乗せて 近所の友達と遠方のより広い田んぼを目指して出発します。

因みに イナゴは竹ずつの入り口に当てると 自分から中に入っていきますよ。

 

毎日のノルマが3キロ。 それ以上だと先生に大変褒められます。それ以下だと戻されます。

しかし、私はイナゴが怖いのです。

仮面ライダーの顔をして 竹ずつの中から脱出しようと上へ上へと這い上がってきます。

掴み方が悪いとかまれます。

気持ち悪い事に 「おんぶバッタ」や孫迄乗せた「親子3代バッタ」までいます。

誰がこんなことを考え出したのか、当時の親は誰もなんとも言いませんでした。

 

夕暮れにクタクタに疲れて学校に戻ると、校庭には大勢の先生が自分の生徒の布袋の重さを計っています。

その挙句 100グラムでも少ないと情け容赦なく「もう一度行ってこい!!」とやり直しです。泣きながら 今来た道を戻った記憶があります。

 

地獄の3日間は 私の幼少期に多大な影響を与えました。

しかし、 私のふるさとは このイナゴの佃煮というものが当時は大手を振って食べられていました。

料理好きのおばが 煮込んだキャラメル色の佃煮は目をつぶって口の中に放り込むと甘いお菓子の様な味がしました。

カルシュウム不足で栄養不足の戦後の子供たちの栄養源にもなっていたのでしょう。

 

今の私の住まいの周辺は 畑がおおくて 田んぼはありません。

カエルの声もイナゴも見かけません。故郷を離れて50年になりました。

娘たちが 小さなバッタやカマキリに驚いて逃げ回る様は 当時の記憶を呼び戻します。

目をつむって イナゴの大群と戦った日々・・・。

イナゴが竹ずつの中から這い上がってくる映像は サブミナル・・・と言うんですか?

何日も 目を閉じると幻影となって襲ってくるのです。

 

何度も言いますが・・・・。

こんなことをさせた奴は誰でしょうか。

大した遊具もない校庭でしたが 本当にこれを買うためにやらせたんですかね~。

 

それにしても当時の親たちは全く子供の事に無関心で 誰一人としてクレームをいれた者はいませんでした。

貧しい時代でした。